マネジメントの裾野を広げるには何をすべきか?秀玄舎メンバー意見交換会レポート(前編)

定期開催している秀玄舎メンバーによる意見交換会。今回のテーマは「マネジメントの裾野を広げるためにはどうするべきか?」。プロジェクトを推進する上で必須の「マネジメント」が意外と明文化されていない事実をもとに、マネジメントの定義や認知の有無、マネジメントによって得られる成果や因果関係まで、話題は多岐に上った。

マネジメント

 

大きな課題を抱えている案件には「マネジメント」以前の問題がある場合も

 

秀玄舎はマネジメントについて非常に高度な意識と経験を持っていますが世の中にはマネジメントが機能する会社や現場と、しない現場・会社があります。そういう現場・会社で秀玄舎が活躍する為には”最低限のマネジメント素地”というか条件みたいなものが共通しているんだけど、実はあまり明文化されていないように思います。
関わっている会社で課題が増えて顧客さんが困っていますね、みたいな話をした時にガチガチの体育会系の会社だと「期限までに死ぬ気でやれ」って指示が出て「はい分かりました」となるものの、結局何もできなくてただ時間が過ぎていくことがあるんですよ。マネジメントの概念そのものがあまり認識されてないことが結構あるので、その状況で秀玄舎がマネジメント力を発揮できないのかな、マネジメントの裾野を広げるにはという話をしたいです。

 

マネージャーや経営者クラス、リーダーが炎上するのが分かっているのに何もしない。結局炎上してからそこだけ収めるのをずっと繰り返して、何も手を打とうとしないということがあります。そこでやっと危機感はその時芽生えるけど、それ以前に問題が起きた時に、作業している人達が大変になるだろうとか、関心がすごく薄いんですよ。思いやりっていうのか、その気持ちがあるかないかで違うのかなって最近思います。他人事というか「お前が頑張れば」みたいな。

 

今の”思いやり”ってキーワード、実は秀玄舎に入社して割とすぐ、さんに言われたことがありました。結局思いやりがないとマネジメントって出来ないよねって。

 

昔いた会社でマネジメントが機能してなかったなと感じたときはあります。割と昭和的な価値観で、基本的に人は使い捨てるみたいな感覚の会社だったかもしれない。人が潰れてしまっても別に入れ替えればいいっていう感覚で、実際に一緒にやっていても、なかなかマッチしない、考えが合わないと感じましたね。

 

私も価値観が合わないとか前提が共有できない時に、中身に触れがちでしたが、そもそも意思疎通ができるかどうか、相手がこちらの意図を読み取る気があるのかにも障壁があるなと感じます。伝えようとしていることが食い違っても、一部が合っていれば全て読み取った、本気で分かったと思って人もいて、その先の会話が出来なくなるんですよ。すると、こちらも諦めてしまうのでマネジメント以前の問題ですよね。

 

どうすれば、その人や組織にわかってもらえるのか、それが何か知りたいですね。原則とかルールとか、それこそミッション定義にしても。

 

その会社が定めるボトムのレベルを規定しないと全く同じ文章を書いても違う捉え方をされかねないですよね。ついていけない人に合わせていくと、すごく低レベルなことしか出来ないし、その逆でも、解釈の人それぞれバラバラで全く機能しなくなるので、どのレベルの人に通じる会話をするのかを探るのは大事だなと思う。逆に言うと本当に良い人が揃っていると、すごく高度なことだけ定義してもくみ取ってくれるけど、話が通じない人に向けて高度なことをしても、上司は現場のルールを理解できなくて簡単にぶち壊すだろうし、自社・パートナー含めて悩むことになるでしょうね。

 

双方で「マネジメント」の定義が一致していないことが元凶?

 

マネジメントが機能している、していないってどういう状態だろうとか、そもそもマネジメントって結果ですか?プロセスですか?みたいな話でもありますよね。言葉の定義の曖昧さが、原因として大きいと僕は現場で感じているんですけど、何をすればどういう効果があるのという因果関係について、ほとんどの人は多分分かっていない。要は何でマネジメントをすると、今の問題が解決するのかとか、今トラブルになっているのはマネジメントが欠如しているからなのかっていう因果関係のどこかにバタフライエフェクトがあるんですよ。マネジメントするからこれがこうなる、だから今こうなっているんだ、みたいなイメージがないからやらない、この問題はちゃんとマネジメントすると回避できるよねって発想にならないんじゃないかな。マネジメントという言葉だって、ほとんどの会社では、多分ラインの部下を指導することだと曖昧に定義しているだろうし、そもそも正しい定義があるわけではないじゃないですか。我々が入って行くにしても、我々と向こうの間で言葉が一致しないと「まずマネジメント整えましょう」ってならないですよね。

 

マネジメントっていうものが、やっぱりふわっとしている、あるいは考え方が認知されてない印象がありますね。世の中的にはマネジメントって管理職と同じみたいな感覚もあると思うので、どうインストールしていくのか、どうすれば実現できるのかなと思う。「プロジェクトでもう予算がないからマネジメントを減らしましょう」となると、僕たちは矛盾を感じるけど、そう思ってない人には、ただのコスト削減でしかないわけだから、僕たちが見ているものと、向こうの人たちが見ているものには、多分違いがあるんですよね。そこを同じ目線で同じものが見えるようにするというのはどういうことかってところが悩ましいですね。

 

 

たとえばスーパーな人が一人いたら、物ができることがあるじゃないですか。それが二人三人になっていくと、ボラティリティが上がって振れ幅が出ちゃうのでだんだん成功確率が下がっていってしまう。だからスーパーな人が一人でできてしまうというのは、マネジメントがなくても物ができる可能性があると信じてしまう人もいるし、そう思っている人たちとっては、マネジメントがリスクヘッジに見えてしまう。となると「お金ないし、マネジメントを入れなくてもうまくいく可能性がないわけじゃないし、そのままでやろう」みたいなこの発想になってしまいますね。

 

僕は必要なマネジメント量は、絶対あると思います、何割だとかは言えないし、確率が動く可能性も勿論あるけど「これをやるとなるとこれだけマネジメントが必要だね」みたいものが、前提になればいいのにと思います。

             

それなりに大きな規模の組織では、スーパーな人って少なくとも自分の範囲をマネジメントできていると思うんですが、それを可視化できているかどうかですね。だけど会社は多分、何割かがマネジメントfeeと思っていなくて、開発に払っていると認識しているでしょうね。あとは、このプロジェクトにマネジメント事業がいくら必要かみたいなあたりを付けるまでにかかるパワーと、ゴールが見えた上で作るまでに必要なパワーは別物だと思います。最初にがっつりWBSを引いても何ヶ月かかるかわからないっていうのと、ゴール、リリースがもう決まっているところではやはり違う。

 

あとスーパーな人がマネジメントをまかなっているとして「あいつに任しておけばとりあえずいいや」っていうレベルでやっているか「もし彼がいなかったとしたら、これだけマネジメントにお金が発生してしまう」って思えるかどうかの違いも大きそう。

 

スーパーな人が部下だとして、使い方を分かっている上司とセットだと強いけど、他が無能だからスーパーな人が走り回っているのだとしたらリスクが大きい。

 

なぜプロジェクトでは映画やサッカーのようにマネジメントが必要と認識されないのか

 

経営者本人がスーパーエンジニアだと、自分の成功法則で「自分が出来てしまうから、他の人もできるだろう」って思ってしまうこともありますね。

 

そこに合った土壌なのか、虫がついているみたいなことを提示して、適切にやって行くかどうかで取れる作物や花だって変わるっていう話ですよね。必要性に関しては、サッカーで監督がいなかったら駄目だよねって話は通じるけど、仕事上でマネジメントがダメだったら、うまくいかないってことはどうして通じないのかという疑問はあります。

 

そこに頼りきってしまうという意味では「何とかしてしまう人がいるから何とかなるだろう」っていう楽観的な考え方もあるし、何となくリスクが見えているのに、見えない部分に関しては運みたいな思っている人もいますよね。

 

たとえば映画みたいに成功したら監督はもっともてはやされるし、失敗したら仕事がこなくなるみたいな世界観だったら、開発のマネジメントも変わったでしょうね。組織から人を提供するマネジメントだと、自浄作用みたいな機能もないし、専門家が育たない感じがします。ただし開発に近い世界でゲームのプロデューサーもディレクターも企業を転々とするとか、そもそも企業に所属しない人いるじゃないですか。

 

サッカーとか映画とかゲームとか、結果で評価されるタイプのマネジメント職ではなく、普通の仕事のマネジメントは結果を出すためのプロセスとして正しくできるかどうかが、責務な気がします。

 

ただし映画の成功って、監督自身はメンバーの成長に対してほとんどコミットしてないですよね。映画一本がうまくいっても、いかなくても一旦そこで関係は終わりだし。一方で会社は、その人のマネジメントを何で評価するのかが、組織の長まで関与しますよね。

 

でも会社の業務を正しくやるためのマネジメントに関しては、責任とか管理という言葉にすり替えられて、あんまりマネジメントっていう意味で可視化されないのかも。そもそもマネジメントって習わないですね。

 

企業で教えてくれるマネジメントって普通のラインマネジメントで、PDCAを回すとかはあまり習わない。失敗した時も、原因を分解して、こう改善しなくてはという振り返りはあまりせずに、大体誰かが悪いということにして終わらせてしまう感じがありますね。

これから求められるのはゼネラリストとしてのスキル?秀玄舎メンバー意見交換会レポート(後編)

定期開催している秀玄舎メンバーによる意見交換会。前編では昨今、いかにゼネラリストとしての価値が高まっているかをメインに議論した。後編では秀玄舎がそのスキルを広めていく上で、直面している課題、今後期待できる展望について意見を交わした。

重要性をなかなか理解してもらえないゼネラルなスキル。一方で一度体感してもらえれば大きな強みに

 

自分たちはゼネラリスト部分を担保して、逆にそれ以外の部分はもうどんどん外注してっていうふうに割り切るのも一つの解だろうと思うんです。大企業なんかはそれで全然問題ないのかもしれない。その辺の意識があまりない人たちが何となく困ったからといってファームとかSIerに丸投げしようとすると、今はファームやSIerも内部をどんどん下請けに出してしまうところもありますよね。期待しているゼネラルな部分の有無も落差が激しいし、そもそも中小企業はそういう相談先すらあまりないのかなっていう気もします。だから、ゼネラルなスキルセットみたいなものを各社がどのように獲得していくかが、今後の隠れテーマだと思うんですよ。今はそれっぽいビジネスが今は無いのかなって気がする。

 

そんなことないですよ。行政書士の顧問先は全部そんな感じです。法務面だけじゃなくて経営コンサル面もそんな感じです。

 

行政書士にはあるかもしれないけど、ITではあまりないんじゃないかなって。

 

そこのスキルセットって一度体感してもらえると、長くいてほしいってすごく重宝されるけど、最初からそういう人が必要だと青写真を描いてくれる人はなかなかいないですよ。なんならエンジニアとデザイナーさえ集めればうまくいくって思われている。また重宝されたからといって大企業のポジションを奪えるのかっていうとそうでもないですよね。仕事を受注するとかリピートするという意味で、もちろん力にはなっているんだけど。スキルのある人だけ集めて、仕事の仕方そのものを作り出してから、更に人を入れるほうがいいのに、ひとまず人が集められて、たまたまスキルのある人がいれば上手くいく、いないチームは上手くいかない、っていう現状は何とかしたほうがいいですよね。先ほどの中小企業の切り口って話に関してはITコンサルタントって言っちゃうとダメなのかも。経営コンサルがある、ITコンサルでいいと思います。

 

僕は経営コンサルがITコンサルを兼ねていいと思いますよ。うちの会社もそもそも定款で経営コンサルティングって言っていて、ITコンサルとは一言も言っていない。だから、経営コンサルタントがやるITコンサルという売り方で全然いいと思います。一人で両得ですって。

 

ITコンサルor経営コンサル、秀玄舎はどちらを名乗るべき?

 

逆に中小企業が頼っている“経営コンサル”ってどんな感じなんですか?

 

中小企業診断士と言われる人たちですね。この人たちを呼ぶのに補助金を付けられるので、このまま、いてもらったら役に立つかもっていうお試し期間があるんですよ。間口を最初から広く取っておいた上で専門性を提供する方が中小企業向けには良いんですね。

 

「ITに強い経営コンサルタントです」って言い方をするんですか?

 

どちらでもいいです。「僕はITコンサルもできます」って言えばいいだけ。

 

メインは経営コンサルだけど、ITが一番強いです、みたいな語り方ってことですね。

 

秀玄舎も経営コンサルタントを名乗ったほうがいいですか?

 

私はそれをさんにはおすすめしました。間口は広く取っておいたほうがいいかなと。

 

なるほど。でも他にも何かできることが増えなきゃいけない感じがしますよね。

 

だからこそ、ゼネラリストなんじゃないんですか。

 

秀玄舎の社内プロジェクトの概念から言えば、できていいはずですもんね。

 

違和感はないですね。大企業はどちらかというと、より細分化された専門性から入っていってゼネラリストとして力を発揮するみたいな話だし。大企業向けのグランドデザインを作るのは関係者への説明だけとっても、本当に数十人単位のリソースがないと難しいし、秀玄舎がやりたい仕事でもないんじゃないかなと思ったりもします。

 

僕とさんとさんで入っているC社さんはそんな感じですね。さんが経営戦略的なところを、さんがデザインとか、顧客設定のビジョンを、僕は足廻りの技術とかを語っています。お互いに補完しあって、隙間をちゃんと埋める意識でみんなやっているので、てんでバラバラで収拾つかない事にはならないし、これを色んなところでできると価値を提供できるだろうという手応えはありますね、手前味噌ですが。

 

ゼネラリストとしての価値を、いかに広めていくか

 

僕が個人的に感じているのは、行政書士とかって、外部専門家同士の横の連携も共通言語で会話できるのに、ITは各外部専門家の共通言語がないから、誰かが通訳しないと話が通じなくて全然まとまらないということ。だからゼネラリストがその間を取り持つ通訳のような役目を果たしているんですよね。要はディスパッチした後に互いに通信できるように通訳までしていかないと、それぞれ別々のものがまとまらないっていうところがありますね。

 

横の繋がりはないですね。お医者さんとかは、文句を言いつつもそれぞれに紹介するときとかリスペクトを持ってする前提があるじゃないですか。ITはないですね。

 

例えば、レントゲン撮った画像を渡せば向こうもわかってくれますよね。ITはもらった情報をどのフォーマットで開けばいいのみたいなところから始まるから。

 

開発する側からして、ビジネス企画書と、ペルソナとかカスタマージャーニーとかもらって、「これで作ってください、分かるでしょう」って言われたら困りますよね。

 

作った後「これは違う」って言われて絶対お金もらえないやつですよね。でも各社の上流がそういうものを作りたがるし、お客さんも「分かりやすくていいね」って言うけど、「いや分かりやすいけど、作るものを表してないじゃん」っていう。これは一例ですがさんとペンギンを売り出すときに作った決め文句は、「UXはシステムとビジネスをつなぐ共通言語です」。要はビジネス部門の人もシステム部門の人もCSの人も「UXを語りましょう」って言ったら、私の部署には関係ないって言えなくなって同じ舞台に立てるんですっていうのは刺さるところには刺さったなと思っています。一方で、じゃあこれでもの作りやDXが推進できるのかって言うと、最低レベルのエンジニア的知識や、秀玄舎でいうところのマネジメント初級みたいなところが必要で。正直、体感で身につくものじゃないので難しいのはジレンマですね。 私も大企業にいたときは、デザインも開発エンジニアのことも理解した上で、本当に通訳的役割をやっていたんですよ。アメリカ人に対しては英語で喋るように、エンジニアにエンジニアリング用語、デザイナーにはデザイン用語で喋っていたけど、この役割を務めるにはこのスキルが必須だと言ってしまうと、かなりの負荷を強いることになって難しくなるでしょうね。

 

お医者さんの例で言えば、患者が色んなお医者さんと対等に話せるレベルを要求するみたいになっちゃいますね。ゼネラリストは秀玄舎的には創業以来のテーマでもあるわけですが、なかなか答えが簡単に出ないので難しいですね。ただ、重要性も価値も高まっているので、さんが言ったように、ちゃんと名前つけましょうよとかブランディングしましょうよという話も、今後やっていけたらいいなっておぼろげに思っています。

 

先ほどさんが言っていた、中小企業は中小企業診断士の公的な活動の支援があるように、公的な分かりやすいルートに乗っかれるようなものがあると入り口として広がっていいのにと思いました。うちも中小企業診断士取れば一番早いかもしれない。

 

中小企業は日本の80%以上を占めていますからピンキリですけど。

 

困った時はこういうところに頼んでいくんだよ、こういう公的支援があるんだよってね。多分みんな同じことを聞いて、同じような行動を取ると思うのでその路線に乗れるといいですね。

 

秀玄舎は、中小企業だけじゃなく大企業も相手にしているので、そこもフォローしたいですね。コンサル会社経由とかもあるかもしれないですけどルート作りができれば。

 

ネームバリューがものを言う世界みたいなものですからね。そのために無理にネームバリュー高めるっていうのは、すごく秀玄舎的じゃなくて私も嫌ですけど。

 

難しいとこですね。

 

短期間で、大きい仕事をもらってやろうとすると、それなりに人数が必要だったりしますし。

 

きらきらな人に会社作ってもらって、その内実は秀玄舎で運営してる。

 

外を頼るのは割といいなと思いますよ。特に大企業ではアドミニストレーションに近いようなコミュニケーションが本当に面倒だから、そこらへんは頼れるといいんだろうな。

 

これでよいでしょうか。いつも結論は出ないですが、色々とキーワードが出てきたので、折に触れて思い出しながらやっていけると良いかと思っています。今日はじゃあおしまいにします、お疲れ様でした。

これから求められるのはゼネラリストとしてのスキル?秀玄舎メンバー意見交換会レポート(前編)

定期開催している秀玄舎メンバーによる意見交換会。近年、ITに限らず、医療、コンサル、士業なども含め、ある分野に特化することで差別化を図る企業や業態が急増している。これにより、それぞれの専門家を内部で取りまとめることがマネージャーの急務となり、ゼネラリストとしての需要が高まっているのではないかという見立てのもと、議論を交わした。

士業、IT、業界問わず、専門化が進む今、各部門を取りまとめるマネージャーに新たなスキルが求められる時代に?

 

今日は専門家の細分化と内部マネージャーのゼネラリスト化について話したいなと思っています。どういうことかというと、最近弁護士さんも、〇〇専門とか、ある分野に特化した人達が多くなっているようです。おそらくマーケティング的な観点も含まれているようですが、その分野だけを見ればよいという意味でもスコープが狭い中でやっていっているようです。でも企業、特に大企業で、その弁護士さんに依頼する担当者は、色んな専門家のことを横断的に全部見る必要があって結構きついという話を聞いて、これはITでもよくある話だなと思いました。ITも今は例えば、ブロックチェーンが得意です、AIが得意です、マーケティングが得意です、とか凄く細分化されてきていて、それぞれにここが専門だと色をつけているところが増えています。一方で、内部の人はセキュリティもマーケティングもデータも業務もデザインも考えなきゃ、みたいな感じです。色んなことを見なくてはいけない状況にそれぞれ専門家が紐づいているみたいな状態になりやすくて、内部のマネージャーの方がよっぽど大変じゃないかという気がします。最初の弁護士さんの話もそうだし、医療関係も〇〇科ってどんどん分かれているところがありますよね。コンサルも流行り言葉があると、その流行り言葉コンサルが必ず出てくるみたいな。こういう事態が散見されて、マネージャーがずっと悩み続けてきつい状態にしか成り得ない世の中になっているのかというのが最近の疑問で、今後どうなっていくのかというところを皆さんと意見交換したいです。

 

近頃は、いわゆる戦略ファームがデザイン会社を買収して、ITとかプロダクト開発に向けてCXやデザイン思考を盛り込んだグランドデザインを描くんですよね。しかし、そもそもコンサルファームの描く絵って「これをこうやると上手くいきます」という手続き的かつ演繹的説明ですよね。それでは答えが出ないからデザインファームを入れるはずなのに変わらず「こうやると上手くいきます」って言い続けている印象があります。その姿勢や考え方を変えない限り、外部からデザインの専門家を入れても無理だと思うのですが、それを使いこなさないといけない内部のマネージャーさんはきついでしょうね。もちろん手続き的、演繹的じゃないと、上の人を凄く説得することってより難しいとは思いますよ。「こうやると上手くいきます」と言う方がよほど社内の稟議も通しやすいでしょうから。ただこれだけ専門家が増えてくると、専門家を集めた上で、いかにコミュニケーションさせるかというボトムアップでしか未来の絵が描けないのかもと思います。実際はある程度考え方をコミットして、意識合わせてしておかないといけなくて、専門家を集めれば、うまくいくなんてことはありませんよね。

 

それはA社の事例でしたっけ?

 

A社は、とある2000~3000人規模のデザインファーム買い取って、うまくいっている事例があります。とある銀行のプレゼンを聞いたんですけど、内部マネージャーが主体的にグランドデザインをどう使うか考えているんですよ。対してコンサルが描いているのは我々が今入っている某D社。クリエイティブになりたいのに、結局手続きを守ることを重視しているんですね。デザインファームを入れると上手くいくらしいという噂を聞きつけ、全部丸投げしたら「デザインファームでは要件定義はできなかった!」みたいなことが数百人単位のプロジェクトで起こっているんですよ。今後、内部マネージャーが賢くなるのか、そこまで含めてゼネラルコンサルみたいなのが出てくるのか?はたまたそのどちらでもなく、コミュニケーションを立ち上げるチームビルディングに、1~2年お金出せるクライアントしか成功できないのか?と結構複雑に思っています。

 

医者の世界におけるかかりつけ医はITで言うと?定義や役割を明確にすることは可能なのか

 

そこの役割って定義がないし、定義がないから売り物にならないみたいなところがありますよね。お医者さんで言うと、総合診療医とかかりつけ医って、特化した専門性があるわけではないけど、これはこっちに相談しなさいとか、大きい病院に行ったほうがいいよって言ってくれますよね。弁護士もそういう人たちがいるのかな?顧問弁護士とか、そういうことやってくれるんでしょうか。

 

例えば公益法人の設立なら、税理士と司法書士行政書士が最後に認証を取るんですけど、取りまとめは行政書士だったりするんですよ。IT業界は進捗が早いので専門家がボコボコできて、専門性をコントロールするために、まとめる人たちが出てきますよね。つまり新規だから専門性が高いわけで、ゆくゆくはその専門性もどんどん汎化して離合集散して、結局は取りまとめる会社が生き残るんです。そこをパッケージにして売りますよ、みたいな。今は専門家ブームで、一丁あがったらまた手放して新しい専門家ブームに乗るっていうような流れなんじゃないかな。

 

参考になります。社会的に定義とか、役割が明確になっているのはすごくいいと思うけど、IT業界では位置づけられているか。もしくはSIerは本当にそれをやっているのかとか、ちょっとついていけてないですね。

 

かかりつけ医を例にすると、医療の進歩が早いとしても、結局はその進歩をどこの病院が提供しているっていうのを捉えていればよくて、何か疑いのある病気だとしたら、その病院を紹介すればいいだけですよね。ITだとそうはいかない気がします。

 

お医者さんにしても弁護士にしても、基本的に医師免許とか、ベースラインがあるじゃないですか。対して、ITはチェンジマネジメントとか、デザイン型組織に変えることに対してエンジニア畑も企画畑もデザイナー畑も一緒にコミュニケーションして、一つのチームになるので、そこの橋渡しをみんな嫌がっている印象です。それこそSIerは「このデザイナーという謎の人種は何なんだ、マネジメントはしないのか」みたいな。そこを本当に束ねられたら強いと思うけど、なかなかそこまではいっていないんでしょうね。

 

秀玄舎はマネジメントや、もろもろの隙間を埋めていくことが結構多いし、重要性もわかっていますよね。でもその内部マネージャーや発注側の人たちがその隙間を埋めないと意識してもらえるかはなかなか難しい感じだし。そういうのがないからこそ、商売として目立ったセグメントにならない感じがするね。

 

分からないなりにエンジニアリングやITについて論理的に伝えてるのは頭のいい人たちには機能すると思うんですけど、それ以外の部分にどうアプローチしていくのかですね。大企業でもなかなかそこが分からず、とりあえず雇っちゃった結果困るみたいな。

 

ゼネラリスト=ゼネラルという価値を持つ専門家。しかしゼネラリストの育成を目指す企業には技術的なノウハウが溜まっていないという問題も

 

マネージャーの人がみんなスーパーマンだったら要らないかもしれないけど、そんなわけはないので結構必要なんじゃないかとは思っています。ゼネラルなところに価値を見出してちゃんと発注できるところはいいけど、そうじゃないところが多い中でどのようにそのスキルと、それを必要としている人をマッチングさせるのかが問題ですよね。

 

結局、ゼネラルな能力かもしれないけど、専門家として売るってことですよね? 組織運営コンサルなのか、なんとかコンサルなのかというネーミング定義だと思います。

 

そうそう、ゼネラルという専門性を売るみたいな話ですよね。でも先ほども言ったように士業、医療ではあり得ても、ITではなかなか名前がつかない感じはしますね。

 

だから発注側も困ったらコンサル、大手のファームに頼むルートになっているのかなと僕は思っています。大きい企業になればなるほど、ジョブが明確に分業されているわけじゃないですか。そこで自分たちではやり切れない困ったことが起きたら外部に頼みましょうって思考になっているのだとしたら、お金がある場合は大手に相談するみたいな話ですよね。対ベンダーかもしれないけど、物事の整理も含めて頼もうという思考がそれなりにあるんじゃないかとは思います。そこに自分たちで何とかしようという文化があるのだとすればゼネラリストというよりは、専門性を伸ばす上で足りないところを外部供給で補うようにしている感じはします。小さい企業だと自分たちで何とかしなきゃいけないし、そんなにお金もないから、意外と秀玄舎に声がかかるとかね。さんも入っているD社は基本的に多分全社員がゼネラリスト的な立ち位置を目指させていると思うんですよ。ジョブローテも激しいし、専門的なことには、もう外部に任せるみたいなそういう文化がかなりできているので、技術的なところのノウハウはあまり無いですよ。ほとんど全部外部ですから。そういう徹底の仕方は会社の文化やあり方にもよるのかなって感触です。

 

それはつまり「内部のマネージャーをつよつよにしておこうね」ってことですよね。

 

変なコンサルに捕まってすごい金額を払わされていることもあると思いますよ。ただ、ゼネラリストの定義も難しいけれども、D社で働く上では、「ある程度は適当にやりなさいよ」みたいな文化もあるのかもしれないですね。

ChatGPTは何をもたらし、何をもたらさないのか?秀玄舎意見交換会レポート(後編)

  ChatGPTについて意見交換を行う座談会後編。これからChatGPTの利活用が進みそうな分野はどこか。また、回答が正確かつ率直という特徴を考えると、秀玄舎はこれからAIの台頭といかに戦っていくべきか?そこからの発想の転換まで、忌憚のない議論が続きました。

 

質問する際の細かい言葉選びで回答が変わるので、試行錯誤は必須

ところで、広告によく出てくるフレーズをコピペしてChatGPTに聞いたら、「これは一部限定した状況で、あまり適切ではないのに信じない方がいいと思います」と回答してくれる。騙されやすいタイプの人ならChatGPTに聞くのがいいかも。広告を見て「これいいらしいよ」って言ってくる、ちょっと騙されそうな親とか親戚に、子供に相談するのが面倒だったらそのままGPTに打ち込んでみなって言う。

 

オレオレ詐欺とかですか?

 

エゴサーチとかは?

 

個人情報はお伝えできませんって。

 

今はまだ、ですよね。

 

AIだから特殊ってことじゃなくて、結局人がやった悪さをそのまま自動化できるっていう印象ですよね。

 

結局人っぽいものができちゃったんですよね。

 

僕は割と真剣に擬似シンギュラリティだなと思っています。シンギュラリティが起きていないのに、起きた後のような人間社会の影響が発生しているという。

 

アウトプットとか区別がつかないっていうのが手ごわいですよね。

 

ChatGPTが優れていると思うのは、ちゃんと人っぽいところ。それが我々に対して何らかのハードルを下げていると思う。ある会社でラインのコーチングエンジンを作ったんですけど、これがダメだったのは、めちゃくちゃやり取りのスピードが速いからなんですよ。矢継ぎ早に質問が来るんだけど、コーチはそういうことはしないんです。相手に考える時間をちゃんと与えなきゃいけないから。ChatGPTは割と考えるんですよね、時間かけて返ってくる。

 

チャットボットの研究でもありましたね、数拍おいた方がいいと。

 

そうだよね。用意された回答に対してすごく冷めることあるもんね。

 

お客さんに選択肢を提案するときに、「こういう人、こういう状態、こういう環境」みたいなことを入れて持っていくのは、ちょっとやってみたい。

 

さんも言っていましたけど、細かな言葉遣い、特に熟語とかの選び方で回答が変わるから、使う時に試行錯誤した方がいいかな。

 

今は日本語処理しているわけじゃなくて、一旦英語で回答を作って翻訳しているから限界があるね。日本人が作らないとダメだ。

 

ただ、日本のコンテンツを優先的に探していますよね。くだらない例ですけど、「子供からお金の請求がありました」って聞いてみたら、請求って言葉だけだとお金を渡すこと自体のリスクは言ってくれたけど、詐欺のリスクまでは言及してくれなかった。「子供からお金の請求の電話がありました」って言ったら「振り込み詐欺の可能性があるから、二次確認したほうがいいよ」って言ってくれました。でも、そのレベルには相談も成立するし、現時点ではこちらも言葉の使い方は気をつけないといけないくらいの感じ。

 

試行錯誤は必須、機械学習できるものとできないものの違いは何か

コーチングはできそうですか?

 

色んなところが研究しているみたい。コーチングだけじゃなくてカウンセリングもだし、教育系のエンジンがいっぱい出てきそう。標準化されたカリキュラムはとって替わられちゃう。

 

結構いいじゃんってなった時、生身の人間はどうなるんでしょうか?もう勉強しなくていいやってなるのか、それとももっと勉強しないと、AIと見分けがつかないのか。ちょっと対処の仕方がわからないですね。

 

それは多分感情へのアジャストメントみたいなものじゃない?それは分からないか。

 

僕はそこ、どうやるんだろうって思っているから、できるようになっちゃうとちょっとこわいな。

 

コーチングのテクノロジーの研究で、コーチを受けている人の動画からコンディションを図式化するみたいなのはあるんですよ。前回に比べてあなたは、このテーマについてすごく自信がなさそうに喋っていますとかフィードバックするんだけど、それらの研究の行き着く先には、こちら側の感情的な揺らぎに対して回答がコントロールされるってことがありえるかもしれない。

 

機械学習できるものとできないものは違いがあるのかは、これから解明されるところなのかな。感情は多分学習できそう。

 

パターンだからね。

 

価値観や宗教、それぞれのどこまでが学習されるのかというところ。

 

何を学習して、何を学習しないのか、何を一般的回答と思って何を特殊ケースと思っているかのさじ加減が知りたいですね。

 

答えはないんじゃない?

 

いや、でもね、たとえば質問を打つじゃないですか。そうするとChatGPT自体が、一般解として回答していますっていうタイトルをつけて、そのタイトルがその各スレッドに入るんです。だからこちらが聞いたことじゃないことを、例えば「CXデザインの方法論について回答しました」みたいに、ChatGPT自体が文字を置き換えてタイトルつけて返してくるんです。だから既に持っている回答情報から、「あなたはこれを聞いているんですよね」って返してくるんです。こっちの意図と違えば、やり取りの中で修正して変えていけるんですよね。AIとしてあなたにこれを返していますよ、みたいなものがあるんですよ、意思とまでは言わないですけどね。だから一般情報みたいなものをどれだけ持っているんだろうなとか。感情みたいなものを持っているとしたら気持ち悪いですよね。逆に、それ以外の部分、「ネット上にはこういう情報があります」と情報を集められる点は、優秀すぎて太刀打ちができない。

 

AIは正確かつ忖度なし。秀玄舎はこの先、何で勝負する?

AIが進んでもプロジェクトを発生させるのは人間だと書いている資料もあるけど、それはどう?

 

事業計画書とかミッション、ビジョン、バリューみたいなことに、社会環境と業績情報をインプットすると来年の事業計画が作られ、プロジェクトが発足するかもしれない。

 

「こういうミッション、バリューの会社なんですけど、何をやるべきですか?」って聞いてみれば、できるかも。

 

スキルマップ入力したら体制図出てくるかもしれない。

 

もうちょっと仕事したふりするんだったら、3つか4つ、案を出してください、その案に理由もつけてって言って、「今年度はこれ」って出てきそう。

 

それが出た時に、偉い人たちが「うんうん、頑張っているね」って思うものに、ギャップがあったら面白そう。偏りというか情報の差異が出てくるわけじゃないですか。

 

将棋はどうやらAIの方が強いみたいなことか。

 

暗黙に人間が排除している答えがあったりするんですよね。でもさんが言う通り、繰り返していくと、言語化されてない経営陣の前提とか意思みたいなものが炙り出されて、来年以降は更に精度がさらに上がるかもしれない。そして経営者はAIでいいんじゃないってなる。

 

秀玄舎って割と空気を読まないことを強みとしている場面があるじゃないですか。言うべきことを言う、忖度しないって。でも空気の読まなさではAIに勝てない。

 

だったら「AIが言っているんですけど」ってバリバリ空気を読まない意見を出すとか。

 

でも「論理的に言ったらこうなんです」ってことは大体分かっているんじゃないですか?こういう施策を打つべきなのは分かっているけど、できないだけで。

 

そんなことないですよ。人間には言われたくないってところもあるから「人じゃなくてAIが言っているんですよ」って言えばいいんじゃない。

 

三者コンサルタントの存在価値って、自分だったら言えないけどそいつのせいにしてしょうがないから受け入れるみたいなところもあるから。

 

その意味でAIに置き換わる日は、それなりにありそう。

 

スケープゴート的に八つ当たり的にできる存在としてのAI。

 

正確さでも空気の読まなさでもかなわないとしたら、我々は何で戦うんだ?

 

数年前よりもだいぶ人間側が自信を失ってきていますね。

 

数年前の予測より早かったね。教育とかスキルアップみたいなメンターとしてよくないですか?1人1AI聞いてみるとか。

 

これから我々が伸ばすべきスキルって何だろうな。でも、文脈を理解する必要はあるよね。

 

我々がこの回答を見てやばいなと感じるのは、AIが言っていることが複数の文章から構成されていて、それなりに意味があると思うからじゃないですか。でも、これすら読みたくないとか、その解答をもって「つまり何をしたらいいの?」って人もいるのかも。だから質問する力と回答を読む能力は、一定程度に必要なんだなとは思いますけど。

 

どんどん噛み砕いて言ってくれるんじゃない?

 

AIも「この人は二行以上読まないな」みたいな解釈していくと思うので、どんどん単純化された答えを返してくれると思います。

 

何でもできそうみたいな話になっていくと、どういうふうにコントロールするんだろうってことが、お題になりそうな気がしますね。やらせておくと多分できちゃうけど、そこまでやらせるのかってことの方が問題。人間がどこまで手綱を握るんでしょうね。

 

じゃあこれからは、何か質問したら「それはChatGPTに聞いてください」ってのやめよう。

 

今日は雑談っぽくなっちゃったけど、技術的には面白い部分もあるし、話足りない部分もありますね。それではこれで終了します。

 

ChatGPTは何をもたらし、何をもたらさないのか?秀玄舎意見交換会レポート(中編)

  ChatGPTについて意見交換を行う座談会中編。劇的にAIやチャットボットが普及していく中で、チューニングや個人に対する最適化により、回答が操作できる懸念点について語り合いました。一方、日々の業務に活かせる部分についても議論を深めました。

 

攻撃的な人には攻撃的な回答を。保守的な人には保守的な回答を。実はChatGPTは個別に最適化が可能

中国版のChatGPTが出たんですけど、3日でサービスが終わったんです。その理由が習近平の政権に対する批判的な回答をしたから。結局、チューニングやコンテキストも国や政府によって結構変わるし、制御可能だと、それはそれで危ないですね。

 

イーロン・マスクが、ツイッターの言論を解放したじゃないですか。解放すると割と過激な発信力の強い人がメイクを撒き散らす空間になってしまう。だけど、イーロンが言っていることが、それはそれで一理あると思うのは検閲したら検閲しただけの何かが出てきちゃうよね。昔は辻立ちして有名人が言論を作っていて、新聞とかテレビのようなメディアが出てきて、ブロードキャストしてウェブになって、SNSになってどんどん民主化されてきたわけだけど、じゃあ民主化されたものがすごくバランスが良いのかっていうと、そもそもバランスの良さって何なのかというね。

 

人間が分からないのと同じように。

 

あたかもそこに正解があるかのように我々も振舞ってきたし、その正解を享受してきたけど、純自然空間になってしまったサバンナみたいな感覚です。本当に誰も守られない。

 

ChatGPTが、攻撃的な意見が好きな人とか、保守的な意見が好きな人とか、一人ひとりが好きなタイプのAIに聞きに行くっていう世界だったらどうしよう。

 

今ChatGPT使っている時点で、すでに文脈が割れます。攻撃的な意見ばかり肯定すると攻撃的な意見を集めてきてくれますよ。

 

ひとりの中で?

 

ひとりの中で。平和主義的な解答ばかり肯定すると、そういうものを出してくる。だからすでに、一個の言語グラフだけで全文脈を持っているんです。

 

僕の何かを収集して、僕なりにオプティマイズしているってこと?

 

させることができます。要は会話の中で、「その意見はいいですね」っていうと、それっぽいのばかり返してくれるようになるし、誰かが実験していましたけど、感情グラフみたいなものを自分で作って、それに合わせて回答するようにもできるんです。

 

最初にあなたはコンサルタントで、こういう性格の人ですよ、と。それを前提に喋ってもらうのか。

 

「私好みの回答を返してください」と言えば、そうしますね。間違えて、失敗しては「違うのか、この人はこれ嫌いなんだな」と学習しています。もちろんその意味は理解していないんだけど、全言語グラフの中からその嗜好に偏りのある情報だけ返してくれるわけです。逆方向に偏りたければ、いくらでも偏ることもできる。見たくない世界は見ない世界ですから。

 

わりと暗い未来しか出てこない。

 

AIが提供する情報をどう利用するかは、自己判断で自己責任

マトリックス」みたいな現実を知らずに、AIとだけコミュニケーションして真実なんて別になくても幸せに生きられる社会って秀玄舎的には暗いかもしれないけど、一般人的には別に暗くないですよね。人生に悩んだら、バーチャルの世界ですぐ答えを出してくれる。悩み続ける必要なんてないっていう。「お金無いけど明日どうやったら生活できる?」って聞いたら、「こういう保護があるよ」とかすぐ出してくれたら困らないでしょう。

 

それでもいいけど、ビジネスで使う時にはきついですね。もうちょっと使い方あるのかな?

 

さっきさんが言っていた資金繰りの話もだけど、それっぽい答えが出ることと、本当に提出できるものかっていうのは、結局自分で判断するってことですね。

 

ChatGPTに聞いてみます。「私が提供する情報に対して人々が過剰に依存し、自分で考えることが減ってしまうことが考えられる。私が提供する情報が正確でなかった場合、混乱が生じることもある。私が提供する情報によって、人々の偏見や差別を強化することもあります。私が提供する情報を適切に判断し、自己責任で利用することが重要。」

 

結局何も考えてないっていうところですよね。何も考えてないけど、それっぽい結果が出ることの、扱いの難しさ。

 

何も考えていないけど、やたら知識がある人という意味で、「何も考えていない」における考えるとは何か?知識を収集するとか、編纂するところに無限の力を手に入れた後、我々は何を考えるべきだろうか。

 

サイコパスみたいなものでしょう。常識とかじゃなくて、合理的に集めた情報を出すみたいな世界って。

 

ChatGPTには事前にインプットも追加情報を補足もできる。結局出てくるのは自分が欲しい答え?

ChatGPTって事前にインプットがあった上で回答が出せるんですか?

 

出せますよ。プロンプトでどんどんインプットして、前提ありきで喋らせることができる。

 

そうすると、「お客さんがこういう状態でこうで」って、答えを教えるように思えますけど。

 

望ましい解答じゃなければ、「お客さんは今こういう状況で」って後から追加することができるんです。「こいつ全然前提を理解していないな」って人間との会話でもあるじゃないですか。前提共有が足らなかったなと、後出しすると回答の質が変わってくるのは、結構気持ち悪いんですよね。例えば、一般論の話を聞いて、これをお客さんに提案するのはちょっと違うなと思ったら、お客さんにはこういう状況があって、と追加するんです。そうすると、それを踏まえたように回答が変わったり、そこから集められた補足情報みたいなものを出してくれたりするので、文脈を解釈しているように見えるんだけど、恐らく膨大にある言語ツリーからを切り取っているだけなんです。けど、会話が成り立っていて、AI相手に深掘りできている感じがするんですよね。

 

環境認識の部分で精度がすごく高まると結構仕事に使えるかもしれない。僕らがお客様の感情だとか温度みたいなところまで色々感じて、アウトプットを出すから仕事になっているんだと思うんです。1つの問題に対して回答は1つじゃないわけだから、この精度が上がって、こういうお客さんなのかとGPTが理解して、選択肢が広がっていくのだとすると、かなり使い物になるかもしれない。

 

今の意見で気付いたんですけど、回答そのものではなく、どういう前提知識や制約条件の中でお客さんに対して意見しようとしているのかが分かるのかも。 私は毎回定義文書みたいなものを書くのが苦手なので、AIと喋って「あ、お客さんのことをこういう風に捉えているから、こういう意見を出しているのか」みたいに自己検証するとか、「ここを言語化してお客さんに伝えないといけないなあ」みたいなことを整理するのには使えそうです。こういう条件に基づいて、こう意見をみたいな演繹的な資料を作ろうと思ったら、壁打ち相手としては適切だなと思いました。

 

トレーナーみたいな。

 

そういう発展の仕方もあるかもしれないですね。

 

結局使う人だって、ここで止めたいってところで答えを止めるんですよね。満足する答えじゃなかったら情報を追加して、次を出していくわけですよね。そういうやり方だと、結局出てくる答えって自分が欲しい答えなのかなっていう。

 

それは我々が日頃、情報と接しているお作法と一緒だよね。

 

でも情報を追加しなければそこで止まるわけじゃないですか。さらに追加するとまた違う答えが出てくるけど。

 

人間が書けるものはAIにも書ける。調査資料はAIでまかなえるかも

だからといって最初から答えをイメージして、内容まで想定して止めているわけではないですから。例えば、「資金繰りの正確さを上げるためにどうすればいいですか」って、足りなさを埋めてもらうやり取りをするけど、その足りなさをどうやって埋めたかについては最初から想定してない。確かにどこで止めるかって議論は受け取り側にもある。でもそれも、さんに「マトリックス」って言われて思ったんですけど、たとえばWeb広告はめちゃくちゃ恣意的にコントロールされたものだと我々は知っているから、目的に対して合うものをちゃんと探そうと意識するじゃないですか。だけどAIがAIであることの特殊性みたいなものを気にしないAIネイティブみたいな世代が出てくるかもって思います。

 

世代というか、一定数というか、そういう人はいそう。

 

我々みたいに、へそ曲がりじゃない層がね。

 

世代はそんなに関係ないかもって個人的に思いますけどね。どの世代でも広告と実コンテンツが区別つかない人はいる。ただ、若い人でもやっぱり二分されるとは思います。

 

これから調査資料とか、全部AIでやっている人が出てきますよ。

 

言わないけど出てくるかもしれないね。それなりのものができるわけでしょう、「僕が作りました」って、出すわけですよ。

 

東京商工リサーチで調査員が書いている企業のレポートをChatGPTにやらせてみたら、ほぼ遜色ないレポートが出てくる。

 

投資情報とかは割と遜色ないものが出てきそうな感じがします。

 

有価証券報告書とか、決まったインプットになるからこれからは変わらないっていうこと?

 

業界の中でポジションが何位とか、大手の取引先の財務情報を見て、資金繰りが大丈夫じゃないとか、そういうことができるかも。

 

今の人間が書けることは、書けるでしょうね。人間がそこに書いちゃまずいなと思うものは出てこないけど、そっちのほうが価値が出てきちゃう。

 

中編はここまで。後編に続きます。

ChatGPTは何をもたらし、何をもたらさないのか?秀玄舎意見交換会レポート(前編)

  定期開催している秀玄舎メンバーによる意見交換会。今回のテーマは昨今話題となることの多いChatGPTについて。人間の仕事を脅かす存在として語られることも多いが、果たして全てのビジネスに取って替わるものなのでしょうか。

秀玄舎では2022年12月24日に、ChatGPTをうまく活用するポイントや、AIの行く先など、フランクな意見を交わしました。その模様を前編・中編・後編に分けてお届けします。

 

一般論、一般解レベルではかなり優秀なChatGPT。特定の固有名詞には不向き?

最近大流行りのChatGPTと、その亜種みたいなのがいくつか出てきているので、大規模言語モデル系のAIが何をもたらし、何をもたらさないのかというテーマで話したいです。〇〇ができた、すごいっていうのはニュースに結構出てきたけど、何をもたらさないのかが割と重要なポイントで、冷静に見ていく必要があるのかなと。最近Notionにも入ったとニュースになっていましたけど、今度Officeとかに入ってくると言われていますね。色々とニュースを見ている人であれば、何ができるようになったか知っているかなと。

 

自分が思うのは壁打ち相手ですね。話し相手というか、検索したものについて、GPTにコマンドを投げるとざっくりと概要を出してくれます。プログラミングもある程度、限定的対応であればできるし、あとは文章整理。取り急ぎ作ったものをGPTに突っ込むと割ときれいな機械的な文章にしてくれます。ここらへんは割と使い物になりそうなレベルですが、他にもこんな使い道ありますよって思いつく人いますか?

 

ある会社の資金繰りの精度を上げるためにはどうすればいいですかって試しに聞いてみたら、ほぼほぼ書いたレポートがサマライズされていてすごいのが返ってきましたよ。俺の仕事必要ないんじゃないかと。もちろん、GPT側が知りようのない問題については言及しないけれど。

 

一般論レベルは結構優秀みたいですね。

 

僕の中ではスペシフィックになるとダメなイメージですね。例えば「秀玄舎について教えてください」とか固有名詞を聞くと大概デタラメですけど、ゼネラルなテーマについて聞くと、その辺のプロ顔負け。

 

キュレーションというよりは、一般解に対する一般的、蓋然性のある意見を持ってくるのは割と得意としていますよね。2021年時点でネットの知識をリレーショングラフ化できているから。

 

嘘ついたらどうなんだろう?

 

嘘をついているかどうかAIは知らないから、嘘が書かれているけどアクセス数が高いページを持ってくる可能性は充分あります。

 

 

人間の情報だって偏っているのに、「AIの言っていることだから信じたらダメ」って考えでいいの?

検索エンジンと同じで、そのうち偏り始める気がします。今は色んな意見をうまい具合に丁度良く拾っているけれど偏った情報ばっかり拾ってくる環境になっちゃうと、嘘とまではいかなくてもかなり偏った意見を普通に出してきて、それに人が乗ってしまってどんどん偏った意見が溜まっていく負の方に寄っていく可能性があるのかなと。

 

すでにこれが偏っているかどうかも判別できないよね。AIが普及するってことは、世の中がブラックボックス化するということだとずっと話してきました。だからフェイクニュースが拡散すると、同じ構図が絶対起きます。ただ、我々人間がやっていることだって偏っているかもしれないし、嘘かもしれないから、品質としては実はあまり変わらないのかもしれない、ただしGPTは責任取ってくれないけど。

 

その当時は信じられていたけど、5年、10年経ったときに嘘になっていたみたいな話みたいはあると思います。

 

偏りをどこまで期待するのかってところだね。人間と同じで偏っているよねってことで、いいんだろうか。

 

でも世の中って、メディアの言っていることは本当だと思う人が割と多かったりして、AIが言っているだけで盲目的に信じてしまう層がマジョリティなんだよね。これから先、普及すればするほど。物事の本質をあぶり出すことになるけど、目の前の人のことを信じるのはいいけど、AIの言うことは信じない、信じちゃ駄目だよっていうのもちょっと変な話だよね。

 

信じるとか信じないって、その人の実績とか、この分野に詳しいから、ってことじゃないですか。

 

「僕は専門家です」って言ったところで、それだって怪しいから一緒でしょ。

 

その人のそれまでの経歴を見て「この人は10年ぐらい、この分野に関わっているのか」って信用していくものじゃない?

 

個人的にはそれこそ怪しいと思います。これは主義主張になるけど、コロナで専門家と称して出てきた人のことはほとんど評価していないし、専門家と呼ばれる人たちも相当偏っていると思います。

 

専門家も間違えることはありますからね。

 

専門家にも派閥があるじゃん。

 

人間がリアルで言っていることをなぜ信じるのかって、根拠があるからと思うんです。根拠を教えてと言われたときに、AIはこういうことを勉強しましたって教えてもらえれば、信じられるというか、それをもって判断するようになるのかな?

 

PerplexityっていうChatGPTじゃない方はちゃんと出典、脚注が出るんですね。それは結構使える。

 

やっぱり人間だったら、偏りがあるんですよ。それを信じるかどうかは前提が多分いると思いますね。

 

もちろんメディアのニュースをちゃんと評価して受け取れる人は今でもいるんだけど、世の中全体はそんなことないよねと思っていますよって言いたいわけ。メディアがそっちだと言えば、みんな流されちゃうような世の中に、AIだChatGPTだといって世の中が流されるリスクは、人間が報じている場合と一緒だと思う。

 

AIが流されるっていう話と、人がさらに流されると、二つ両方別口でありますしね。

 

実はこれまで人間に流されている時は、割と無意識に感受していたんだよね。だからAIについて殊更に言うのはおかしい気がするって言いたい。

 

今ちょうど、ウクライナとロシアの侵攻みたいな難しい問題について打ってみたんですけど、ちゃんと見解を示してくれたし、どこの情報をソースにしているのか尋ねたら五大メディアみたいなところの、この部分を重視していますと返してくれたので、人間による情報と同じように、何をもって信じる、信じないみたいな判断はできますよ。

 

だからAIだから流されちゃダメってことじゃないよねってこと。

 

出典元までは表示されるので、それが変だったらダメだなって思えるし、ある程度公式なメディアだったら、そこを信じるレベルには信じられる。

 

チャットボットが言ったことが、ウィキペディアに載っていれば信じられそうですけど。

 

今後ウィキペディアもAIが書くかもしれないよ。

 

AIが書き換えているかも。

 

人間が一次情報を作れなくなっちゃうと、どんどん精度が悪くなる。

 

一次情報に対する二次三次情報の割合が変わってきますね。世の中の 情報がもう分からなくなってしまいそう。

 

 

これまでソフトウェアが創り出していた知識空間は、これから特定のAIが担うことに?

シンギュラリティが来るとAIが人間を支配するみたいなSFがあったじゃない?そこで描かれていたAIの像は割と悪意を持っていたけど、これからのAIは悪意なく社会を破壊すると思う。デマの中央値を取り続けるがゆえに。

 

人間が日々つぶやく言葉が、人間社会を壊す機械を作る感じですね。じゃあ嘘は呟くのをやめようみたいな行動モデルができるかもしれない。

 

AIって文字情報を拾っているじゃないですか。今まで公聴会とか弁論みたいな場で発信されていた意見はAIが拾えないから、偏りをなくすためには、全ての文章をネットに公開しないといけなくなりますよね。

 

Alexaとかがあるから。

 

YouTubeの自動文字起こしもあるし。

 

だからAlexaにでも通してテキスト化していかないと、人間はこの先何も伝えられないかなって思うんです。

 

でも、今のSNSも声の大きい人だけが前面に出ていて、サイレントマジョリティみたいな人たちはあんまり出てこないよね。

 

ツイッターなどの言論空間だと、右も左もわずか0.5%程度の政治的に偏った人たちが言論の28%ぐらいを占めているんだよ。主張の強い人がやたら出てきて、まるで世の中にたくさんいるかのように見えるけど、実は数としてはほとんどいない。

 

それが偏っていくんじゃないでしょうか。

 

より加速はするでしょうね。

 

声が大きい人の、発信量の違いがあるじゃないですか。現代と昔では。

 

その手段が違うだけで、声の大きいやつが世の中を動かしているんだと思う。

 

デジタルディバイド3.0だと感じるのは、世の中を創っていくのは、特定のすごく少数のソフトウェアエンジニアじゃない?GoogleとかAmazonみたいな。そういう世の中を作る側と、作られた側で生活する間にすごい格差があると思うわけ。今回は、ChatGPTのエンジンを作った人が世の中の知識空間を作っていくと思う。これまではソフトウェアだったけど、特定のインテリジェンスがコンテンツとかコンテキストみたいなものを形作っていくのだと思う。開発の過程でチューニングは絶対しているはずだし、あたかもAIが中立であるかのように、世の中に売り出していくとは思うけど、チューニングの影響範囲も大きいよね。

 

チューニングマスターがいて、第三者監査機関みたいな。

 

壊せる情報を操作できますね。壊せる順番も含めて。

 

そこが割と秀逸だから、Googleとかも今のところ太刀打ちできないと思うんですよね。もっと明らかに嘘っぽい回答だと、文脈を読めていないなと思うのに、今使っていても、さも会話が成り立っているように順番に返してくるのでかなり気持ちは悪い。けど、圧倒的に便利ですもんね。今までプログラムで手続き組んで入力しないといけなかったのが、試行錯誤で順番に一文一文会話していると、割と辿りつきたかった答えに行くから。用途がプライベートに近いものであればあるほど使っちゃうかも。

 

前編はここまで。中編に続きます。

今流行りの「心理的安全性」ってそんなにいいものですか?秀玄舎意見交換会レポート(後編)

  「心理的安全性は必要なのか?」をテーマとする意見交換会レポート後編。プロジェクトを潤滑に進める上で、顧客の心理的安全性をいかに担保するかの実践や、心理的安全性が指すものの範囲など、議論が発展しました。

 

心理は安全にも危険にも転ぶ。安全性だけをフィーチャーしても意味がない

今の議論を聞いていて思うのは、我々が知らないだけで、同調圧力の強い日本では、 心理的安全性を高めようって議論は深刻なのかもしれない。心理的安全性を持ってない組織における、ダイナミズムの欠如みたいなものが。

 

僕らとしてはそういうことが起こり得るって認識した上で、お客さんと接する必要があるだろうし。このPMはプロジェクトオーナーに委縮しているみたいな状態を理解して、じゃあどうすればいいんだってことですよね。

 

我々の仕事って、もうみんながモチベーションもモラルもなくして、炎上しているプロジェクトで、一家言持っているやつに言わせることが結構大事なオペレーションだったりします。

 

そういうコミュニケーションが大事なことはわかっているけど、別に心理的安全性とは言わないし、言わなくていいと思う。そういう状態が分かっていることが必要ってことですよね。

 

結局は心理戦なんですよね、心理戦を進める上では安全にすることもあれば、危険にすることもあるので、安全性だけをフィーチャーすることに意味ないがないという落ちなのかな。

 

毎回の落ちですね。

 

お客さんから心理的安全性のコンサルしてくれって言われたらどうしますか?

 

アジャイルとか、他と同じですね。そもそもの目的と効果などを話したあとに、うまいことやりましょうって言うんでしょう。例えば、上が隠していると下は基本的にコミットしません、情報公開が大事ですみたいな話があるんですよね、とか。そういう方法論の引き出しはいくつかあってもいい。

 

なんで心理的安全性が必要だと思ったのか、聞いていくと色々出てきそうですね。

 

おそらく問題は心理的安全性だけで解決しませんね。

 

病名でいうと風邪みたいな。症状を聞いていかないと何かわからない。

 

コミュニケーションだけでなく、個人に許容される行動が心理的安全性を高めることもある

我々がコンサルとして入ると、お客さんもだし、我々をアサインしてない部門の人たちもすごく警戒しますよね。その時、この人の心理的安全性をどうにか確保して喋らそうみたいなことを考えるんです。その時の自分の引き出しはもう少し増えないかなって常々思っているんですが、皆さんどうしていますか?

 

一般的なことしか言っていないな。人それぞれモチベーションが違うので、そこに沿うってことでしかないと思っています。安全ですよって見せようとすることが却って警戒を呼ぶこともあるかなと。

 

あとは笑わせるぐらいですか。

 

それはさんの技ですね。

 

ベタですけど、やっぱり相手に興味持っている感を持って、聞きたいこと、プロジェクト以外のことを聞くことはあります。

 

高等テクニックですね。

 

組織の意思決定とかイノベーション、変化を起こすことが目的だとすると、今の心理的安全性の議論で、違う観点があると思ったのは、コミュニケーションだけじゃなくて、許容されている行動も、組織における心理的安全性の余地なのかな。と言うのも、不思議だと思っていたのが、アメリカでは業務外のことを何時間やっていいですよみたいなルールがあるんですよ。日本でも私のいた組織では、5時間働いたら3時間別のことやっていいですよとか、上司に黙って頼まれていない仕事をやる。コミュニケーションしなくても、勝手にやっているやつが偉いみたいな文化があったんですよね。だから組織によっては、もし本当にイノベーションを起こすことが目的かつ、心理的安全性を高めたいとしたら、もう個人個人で勝手なことをやればいいじゃんみたいな感じ。

 

Googleの定義と全く違うんだけど、それも、ある意味心理的安全性だなと。たとえば部下が知らないことやっている時に上司が絶対突っ込まない暗黙のルールもあったんですよ。会社の設立趣意書に自由闊達なる愉快なる理想工場を作るって書いているから、もう自分のやりたいことは上司の目を盗んでやれという風土です。

 

心理的安全性はやはり原因ではなく結果?重要なのは事例や議論の積み重ね

そんな原則を掲げている会社は山ほどあるんだけど、結局、事例の積み重ねで許容されると思うんです。原則をどう解釈するってケースバイケースで、その解釈が積み重なって文化になっていくと思うんですね。ミッション、バリューって今流行っているけど、やり続けるだけでは意味がなくて、やったものをどう解釈して現場で血を通わすかみたいなこと。単なる想像でしかないけど、さんがいたところは、上司のこと無視した社員が会社の創成期にいて、創業者がそれを許した。そういうことの積み重ねなんでしょうね。

 

心理的安全性のコミュニケーションもですけど、多分マネージャーがデメリットと向き合っているんでしょうね。サボっているやつがクビにならないとか怒られないみたいなことで、一部の人はモチベーション落とすと思うんですよ。それを許容することも、脈々とある解釈の中で実現したんだと思うし、それを許容しなかった人がトップで構成された組織もあったと思うので、割と目的次第。どんな行動を許すかみたいな話とか、行動に対してどういう制限やルールを作るかみたいなのも、この安全性の中にはあるなあって話でした。

 

安全にしようと決めた人がいるってことですね。

 

コミュニケーションも含めて、そうなんじゃないかな。秀玄舎も議論をどう自分たちが決めていくのかみたいなベースはあってこそ、言語化しなくていい、建設的議論の積み上げがあったんじゃないかなと。だとすると、やっぱり原因じゃなくて結果の感じがしますよね。

 

秀玄舎らしい心理的安全性についても、パッと外から会議を眺めただけの人では、吊るし上げられているなって感じるかもしれないけど、否定的意見が言いやすいみたいな意味で、中の人が我々にとっては当然だよねと思っていれば安全な状態と言える。外から入ってきて、安全かどうかアセスメントするのはすごく難しいと思いました。否定的フィードバックができ合う関係っていうのは、その人たちがオッケーと思っていたらいい状態ってことですよね。

 

だから、安全だと言われている組織が他の人が入ったときに、その人にとって安全かどうか。

 

私も秀玄舎に対してはそう思いましたよ、いい悪いではなくて。

 

いつもこの会議は結論を出さない、結論が出ないことと沈黙を許容しています。ふわっと終わるけど、いつも、途中途中で気付くというか、心理的安全性というキーワードに対して分かっていなかったところがちょっとクリアになれば良いとしています。それでは今日はおしまいです。ありがとうございました。