定期開催している秀玄舎メンバーによる意見交換会。
今回のテーマは「企画発案の方法論」。クライアントへのヒアリングを経た後、どのように提案やアイディアを思いついているか、情報収集の手段などをメインに議論を行った。
<人物紹介>
社内で1,2を争う論客。切れ味の鋭いツッコミで話を本質志向や目的志向からずさらず具体的な結論に導く。開発部隊のリーダー
圧倒的な情報量とUXを念頭においた思考力で多くの問題に取り組む。U X &プロダクトマネージメントコンサルタントとして新規事業を立ち上げている
弊社No1営業マンにして元社長のF。幅広い知見や実戦経験を持ち、独自で客観的な視点で物事の本質に切り込む
”修行僧のようだ・・”と言われるほど何事にもストイック。長年、幅広い分野で現実的なコンサルティングで顧客の信頼が厚い
クライアントに課題や問題を手書きしてもらうことから、問題解決をスタート
今、非ITの人が自社の部門のIT化とか改善案を考えるっていうワークショップをやろうとしてるんですよね。まず、自分たちの業務を可視化しましょうって業務フローやユースケースの書き方を教えてるんですけど、そこからIT化のアイディアって出てくるのか?ってちょっと思ったんですよ。
自分がお客さんの業務をヒアリングした後に「じゃあこうしたらどうですか?」ってどうやって思いついているんだろうなって振り返ると、ほぼほぼ事例なんです。
単純にその知識がどうこうというよりは、色んな事例が頭の中にあって、「これとこれを組み合わせようか」「ここに応用できるかもな」みたいなことをやってるんですよ。
そこで、皆さんがお客さんからヒアリングした後に、どうやって提案を思いついているのか聞いてみたいというのが今回のテーマです。
質問の意図を一旦確認したいんですけど、適任者は個人なのか組織なのかとか、どんな案件や状況があり得るんでしょうか?
最終的には組織だったとしても、個人を相手にしているわけだから、個人なのかな?組織としてアプローチすると良いアイディアが出てくるというイメージはあまりわかないです。
僕は自分で色々発想するもののあんまりそれを出さなくて、組織みんなで どういう風に その案を浮かび上がらせていくか、議論させていくかという方法でやってきたことが多いです。
そんなことが本当にできるんだったら、すごいと思うけど、つまりお客さんに「問題はどこですか?」みたいに問いかけていく感じですか?
そうですね。何も分からず集められた人たちに、会社の問題、課題は何ですか?って訊くのと一緒に、どのような将来像を描きますか?って、手描きでスケッチしてもらうようなことをやっていました。絵にしてイメージが湧き上がってくると、それを元に色んな視点や議論が生まれていってましたね、キャッチフレーズを考えましょうとか。
でも視点が結構ばらつくんですよ。実際に会社に対する視点はもちろん、個人あるいは社員視点も。そこで、ここの視点が足りないですねみたいな議論をして調整していってました。
要はお客さんが答えを持っているという前提のもと、問いを上手に積み重ねていくと、お客さん自身が気づいていくみたいなことだね。
企画発案の目的はアイディアそのものではなく、問題を改善すること
僕は推敲も含めて、自分たちが思いついて自分たちで考えるっていうことをスタートにしたい。もっといい案が自分の中にあるなと思っても、きっと成功しないっていう悲観的な考えなのかもしれないです。
個人的には「思いついてなければ、できない」はすごく反対ですけど、大事な気づきが2つありました。1人のアイディアではないというアプローチ、要は対話の中で生まれるっていうか、自分一人で机の前で紙と鉛筆で業務フロー書いてウンウン唸って生み出すことじゃなくて、人と話している中で、何か気づいたりすること。ワークショップに近いですね。もう1つ、目的は思いつくことではなくて、問題が改善できることだとすると、できもしないことを思いついてもしょうがないっていう視点がありますね。
一緒に考えてもらうとか、洗い出してもらうってワークショップでもやりますよね。業務フローを書くにしても、一旦個別で準備してもらっても、一緒に書く中で、隣の人から「そこいいね」「ここは違うんじゃない?」って気づきを得ることで、結果的に新しい発想に繋がる気がします。だからさんが言うように、皆さんが言うことを集合させたり、まとめたりすると、バラバラだと思っていたことが実は1つの形になるんじゃないですかね。
勝手にこちらから思いついたことを提案することは実はない気がします。
あまり優れた意見じゃなくても、出し合ってもらうことに意味があるの?
そもそも、こちら側の意見は無いんですよ。皆さんが思いついたことが噛み合わないとか、視点がずれてるみたいな時に、初めて新しい発想が出てくるので。
アイディアの実現性は発想のプロセスに不可欠
アイディアそのものよりも、インストールというか、組織にどうやって定着させるかみたいなことで苦労してきた歴史としては多分、僕よりさんが長いんですよね。
発想とか計画が決まるまでのプロセスが その後の実行段階にどれくらい影響するかっていうのは、我々がほかのコンサルと一線を画す部分ですよね。言いっぱなしで終わらないっていうのが我々の肝だから。
以前、秀玄舎の”行動原則”を構築しようと話をしたとき、そこでトップダウンで行きましょうって言ってたものがやっぱりボトムアップじゃない?みたいな話になったところから、もうすべてが破綻しちゃったんですよね。
そこから「何が問題なのかと」再度課題設定して自己検証をずっと続けてたんです。
そこにどういうインプットしたかというと、”理念”を決めてから”原則”を作るというプロセスを経たので、「”理念”も”原則”もどうやって作るんだ?」みたいな疑問を解消するために、片っ端から書籍を集めました。その後は行動の本を大量に買って。
企画発案に関してはさんに近いんですけど、一般的なものを大量にインプットして、そこから課題解決するのには何が1番いいか自分で組み立て、検証して提案するみたいなパターンかな。あとは提案したことが自分でできないといけないので、自己シミュレーションするとか。
だから僕の場合は企画とか発想じゃなくてベースを作り上げる地道な作業ばかりです。僕はあんまりそういう発想力がないので、発想法についてはむしろ聞きたいところです。
発想のプロセスそのものが、実現性を意識したものでなければならないとうのは1つありますよね。とは言うものの僕が今日問いかけたかったのはもうちょっとライトな「これらの選択肢ってどうやって出している?」ぐらいの話なんですよ。
さんと結構似ているかもしれないけど、僕もそんなにクリエイティブなイメージがないんですよね。情報とかニュースとか事例などをたくさん浴びておくのが最初にあって、あとはそこを繋げているだけのような気もしなくはないです。
さん、自分が学んだこと以外を発想することってありえます?
例えばゼロベースでメソッドだけで何かを生み出したっていう覚えはないな。
僕、さんの集合知っていうの分かるんです。「自分の限界があるから、集合知で発想の領域の限界を大きくしましょう」っていう考えだと思います。色んな情報に接して、その情報をどうやってその事象に当てこむかっていうところが、発想力の肝になるような気がしますけど。
ゼロベースの企画発案は難しい。自分の中ある知識が発想力の限界
よくよく考えると、僕は8割社内の情報共有なんです。昔は日経情報ストラテジーとか読んでたけど、そういう雑誌軒並みなくなったじゃない?つまり、僕が客先で提案していることの8割社内の情報共有 × 8割ぐらいは情報元にしている社員個人から提供されているんだなって思うわけ。
あと僕が今のクライアントで取り組んでいるのは「業務フローを書いて、二重入力している箇所を探しましょう」みたいなゼロから生み出す感じなんです。「情報を再利用しているけど、別のものを使っているところを探して繋げてみましょう」とか。
事例に頼らないゼロベースの企画の立て方があるんじゃないか?とメンバーにちょっと考えてみてって丸投げしてるんですけどね。だから世の中的にはそういう方法論があるんじゃないかって勝手に思っています。
破壊的イノベーションとかゼロベースとかってよく聞きますけど僕は無理だと思ったんです。結局、自分の中にある知識が発想力の限界だと思います。
それが分かった上で、その計算式で出せるものがないんだろうか?エキスパートたちは実はそういう計算式を頭に持ってんじゃないのっていうのをちょっと聞いているわけ。
米デザイン・コンサルティング企業IDEOの研修に参加したことがあるのですが、IDEOの人も破壊的って言ってた事例は2つぐらいしかないんですって。”アナロジー思考”というやつです。「似た業界の事例を持ってくるんじゃなくて、全く遠くて関連性がないものを持ってきて適用すると新サービスになるよ」って言ってるような話ですね。
もう1つはちょっと使い古された言葉ですけど”ユニバーサルデザイン”ですね。
”マーケティング”の基本的な考え方には円の中心の点を狙いにいきますよね。誰が狙っても同じまたは近い点が正解になるわけですが、”ユニバーサルデザイン”って円の円周上を狙いにいくことになるから、そこに答えとか新発想がある。
しかし、60億人に1人くらいしか使えないものを作っちゃう可能性もあって、そこは発想力勝負になっちゃうみたいですが。
日々粛々と情報に触れる大切さ、改めて実感する議論ですね。
<後編に続く>