これから求められるのはゼネラリストとしてのスキル?秀玄舎メンバー意見交換会レポート(前編)

定期開催している秀玄舎メンバーによる意見交換会。近年、ITに限らず、医療、コンサル、士業なども含め、ある分野に特化することで差別化を図る企業や業態が急増している。これにより、それぞれの専門家を内部で取りまとめることがマネージャーの急務となり、ゼネラリストとしての需要が高まっているのではないかという見立てのもと、議論を交わした。

士業、IT、業界問わず、専門化が進む今、各部門を取りまとめるマネージャーに新たなスキルが求められる時代に?

 

今日は専門家の細分化と内部マネージャーのゼネラリスト化について話したいなと思っています。どういうことかというと、最近弁護士さんも、〇〇専門とか、ある分野に特化した人達が多くなっているようです。おそらくマーケティング的な観点も含まれているようですが、その分野だけを見ればよいという意味でもスコープが狭い中でやっていっているようです。でも企業、特に大企業で、その弁護士さんに依頼する担当者は、色んな専門家のことを横断的に全部見る必要があって結構きついという話を聞いて、これはITでもよくある話だなと思いました。ITも今は例えば、ブロックチェーンが得意です、AIが得意です、マーケティングが得意です、とか凄く細分化されてきていて、それぞれにここが専門だと色をつけているところが増えています。一方で、内部の人はセキュリティもマーケティングもデータも業務もデザインも考えなきゃ、みたいな感じです。色んなことを見なくてはいけない状況にそれぞれ専門家が紐づいているみたいな状態になりやすくて、内部のマネージャーの方がよっぽど大変じゃないかという気がします。最初の弁護士さんの話もそうだし、医療関係も〇〇科ってどんどん分かれているところがありますよね。コンサルも流行り言葉があると、その流行り言葉コンサルが必ず出てくるみたいな。こういう事態が散見されて、マネージャーがずっと悩み続けてきつい状態にしか成り得ない世の中になっているのかというのが最近の疑問で、今後どうなっていくのかというところを皆さんと意見交換したいです。

 

近頃は、いわゆる戦略ファームがデザイン会社を買収して、ITとかプロダクト開発に向けてCXやデザイン思考を盛り込んだグランドデザインを描くんですよね。しかし、そもそもコンサルファームの描く絵って「これをこうやると上手くいきます」という手続き的かつ演繹的説明ですよね。それでは答えが出ないからデザインファームを入れるはずなのに変わらず「こうやると上手くいきます」って言い続けている印象があります。その姿勢や考え方を変えない限り、外部からデザインの専門家を入れても無理だと思うのですが、それを使いこなさないといけない内部のマネージャーさんはきついでしょうね。もちろん手続き的、演繹的じゃないと、上の人を凄く説得することってより難しいとは思いますよ。「こうやると上手くいきます」と言う方がよほど社内の稟議も通しやすいでしょうから。ただこれだけ専門家が増えてくると、専門家を集めた上で、いかにコミュニケーションさせるかというボトムアップでしか未来の絵が描けないのかもと思います。実際はある程度考え方をコミットして、意識合わせてしておかないといけなくて、専門家を集めれば、うまくいくなんてことはありませんよね。

 

それはA社の事例でしたっけ?

 

A社は、とある2000~3000人規模のデザインファーム買い取って、うまくいっている事例があります。とある銀行のプレゼンを聞いたんですけど、内部マネージャーが主体的にグランドデザインをどう使うか考えているんですよ。対してコンサルが描いているのは我々が今入っている某D社。クリエイティブになりたいのに、結局手続きを守ることを重視しているんですね。デザインファームを入れると上手くいくらしいという噂を聞きつけ、全部丸投げしたら「デザインファームでは要件定義はできなかった!」みたいなことが数百人単位のプロジェクトで起こっているんですよ。今後、内部マネージャーが賢くなるのか、そこまで含めてゼネラルコンサルみたいなのが出てくるのか?はたまたそのどちらでもなく、コミュニケーションを立ち上げるチームビルディングに、1~2年お金出せるクライアントしか成功できないのか?と結構複雑に思っています。

 

医者の世界におけるかかりつけ医はITで言うと?定義や役割を明確にすることは可能なのか

 

そこの役割って定義がないし、定義がないから売り物にならないみたいなところがありますよね。お医者さんで言うと、総合診療医とかかりつけ医って、特化した専門性があるわけではないけど、これはこっちに相談しなさいとか、大きい病院に行ったほうがいいよって言ってくれますよね。弁護士もそういう人たちがいるのかな?顧問弁護士とか、そういうことやってくれるんでしょうか。

 

例えば公益法人の設立なら、税理士と司法書士行政書士が最後に認証を取るんですけど、取りまとめは行政書士だったりするんですよ。IT業界は進捗が早いので専門家がボコボコできて、専門性をコントロールするために、まとめる人たちが出てきますよね。つまり新規だから専門性が高いわけで、ゆくゆくはその専門性もどんどん汎化して離合集散して、結局は取りまとめる会社が生き残るんです。そこをパッケージにして売りますよ、みたいな。今は専門家ブームで、一丁あがったらまた手放して新しい専門家ブームに乗るっていうような流れなんじゃないかな。

 

参考になります。社会的に定義とか、役割が明確になっているのはすごくいいと思うけど、IT業界では位置づけられているか。もしくはSIerは本当にそれをやっているのかとか、ちょっとついていけてないですね。

 

かかりつけ医を例にすると、医療の進歩が早いとしても、結局はその進歩をどこの病院が提供しているっていうのを捉えていればよくて、何か疑いのある病気だとしたら、その病院を紹介すればいいだけですよね。ITだとそうはいかない気がします。

 

お医者さんにしても弁護士にしても、基本的に医師免許とか、ベースラインがあるじゃないですか。対して、ITはチェンジマネジメントとか、デザイン型組織に変えることに対してエンジニア畑も企画畑もデザイナー畑も一緒にコミュニケーションして、一つのチームになるので、そこの橋渡しをみんな嫌がっている印象です。それこそSIerは「このデザイナーという謎の人種は何なんだ、マネジメントはしないのか」みたいな。そこを本当に束ねられたら強いと思うけど、なかなかそこまではいっていないんでしょうね。

 

秀玄舎はマネジメントや、もろもろの隙間を埋めていくことが結構多いし、重要性もわかっていますよね。でもその内部マネージャーや発注側の人たちがその隙間を埋めないと意識してもらえるかはなかなか難しい感じだし。そういうのがないからこそ、商売として目立ったセグメントにならない感じがするね。

 

分からないなりにエンジニアリングやITについて論理的に伝えてるのは頭のいい人たちには機能すると思うんですけど、それ以外の部分にどうアプローチしていくのかですね。大企業でもなかなかそこが分からず、とりあえず雇っちゃった結果困るみたいな。

 

ゼネラリスト=ゼネラルという価値を持つ専門家。しかしゼネラリストの育成を目指す企業には技術的なノウハウが溜まっていないという問題も

 

マネージャーの人がみんなスーパーマンだったら要らないかもしれないけど、そんなわけはないので結構必要なんじゃないかとは思っています。ゼネラルなところに価値を見出してちゃんと発注できるところはいいけど、そうじゃないところが多い中でどのようにそのスキルと、それを必要としている人をマッチングさせるのかが問題ですよね。

 

結局、ゼネラルな能力かもしれないけど、専門家として売るってことですよね? 組織運営コンサルなのか、なんとかコンサルなのかというネーミング定義だと思います。

 

そうそう、ゼネラルという専門性を売るみたいな話ですよね。でも先ほども言ったように士業、医療ではあり得ても、ITではなかなか名前がつかない感じはしますね。

 

だから発注側も困ったらコンサル、大手のファームに頼むルートになっているのかなと僕は思っています。大きい企業になればなるほど、ジョブが明確に分業されているわけじゃないですか。そこで自分たちではやり切れない困ったことが起きたら外部に頼みましょうって思考になっているのだとしたら、お金がある場合は大手に相談するみたいな話ですよね。対ベンダーかもしれないけど、物事の整理も含めて頼もうという思考がそれなりにあるんじゃないかとは思います。そこに自分たちで何とかしようという文化があるのだとすればゼネラリストというよりは、専門性を伸ばす上で足りないところを外部供給で補うようにしている感じはします。小さい企業だと自分たちで何とかしなきゃいけないし、そんなにお金もないから、意外と秀玄舎に声がかかるとかね。さんも入っているD社は基本的に多分全社員がゼネラリスト的な立ち位置を目指させていると思うんですよ。ジョブローテも激しいし、専門的なことには、もう外部に任せるみたいなそういう文化がかなりできているので、技術的なところのノウハウはあまり無いですよ。ほとんど全部外部ですから。そういう徹底の仕方は会社の文化やあり方にもよるのかなって感触です。

 

それはつまり「内部のマネージャーをつよつよにしておこうね」ってことですよね。

 

変なコンサルに捕まってすごい金額を払わされていることもあると思いますよ。ただ、ゼネラリストの定義も難しいけれども、D社で働く上では、「ある程度は適当にやりなさいよ」みたいな文化もあるのかもしれないですね。