今流行りの「心理的安全性」ってそんなにいいものですか?秀玄舎意見交換会レポート(前編)

  定期開催している秀玄舎メンバーによる意見交換会。今回のテーマは「心理的安全性は必要なのか?」です。近年、ビジネスにおけるバズワードとなった感があるが、議論が深まっていない部分も散見されます。

秀玄舎では2022年12月24日に心理的安全性を担保することのメリット、必要性や、心理的安全性と活発な議論の相関など、様々な切り口で意見を交わしました。その模様を前編・中編・後編に分けてお届けします。

 

心理的安全性はチームが効果的に振舞うための原因?or結果?

ご存じかと思いますが、心理的安全性とは、直に発言するとか、疑問やアイディアを話しても責められない、対人関係のリスクを回避する、安全性が確保された意味合いです。対極にあるものとして、パワハラとか人格攻撃とか、意見を言わずに空気を言わない、忖度とかなどがあります。

 

居心地の良さを盾にして、結果的に隠蔽体質になってしまい、意見が出ないということもありますね。Googleのレポートではチームが効果的に振る舞えるための五要件ぐらいあるうちの一つとして心理的安全性が挙げられていて、色んな意見が出るだけでなくて、多様な意見によってイノベーションや新しい事業が生まれるなどの側面があります。一方、見落としがちなのは「言われる」側です。否定的な意見や違う意見を言われても気にならない、むしろ違う意見が出てきたぞって喜べるメンタリティもセットになっているのですが、ここが抜けがちだし、意識づけが結構難しい。安全に建設的な議論を戦わせるのは難しいねとよく秀玄舎内でも話してきました。

 

最近象徴的だったのが、イーロン・マスクTwitterを買収して、たてついた社員をクビにしてしまう件がありました。もう一つは、プロジェクトアリストテレスというGoogleのリサーチが「心理的安全性があると良い」と言っているのですが「心理的安全性が担保されれば、効果が出る」という因果関係を語っているわけではなくて、原因なのか結果なのかまで踏み込んでないんです。しかもGoogleという特殊性を一般化して、普通の企業に当てはめても大丈夫なのか、真似ても同じ結果になるとは限らないのに…というのもあります。

 

心理的安全性ってそんなにいいものなのか?本当に必要なのか分からなくなってきているので、皆さんがマネージャーとしてどう向き合っているのか、この場で話せたらいいなと。

 

秀玄舎では世の中で広まっているほど心理的安全性の話を聞かないんですが、PMとして心理的安全性を管理や意識していますか?もしくは無視していますか?

 

一般的な言葉なので、「心理的安全性を担保した上で皆さん意見をください」という使い方をしています。個人的には、心理的安全性が第一義的に必要だとは思っていません。意見を出してくださいという土壌があれば、心理的安全性はなくても意見は出ると思います。そこに心理的安全性を確保すれば、もっと意見が出やすい土壌になるっていうだけかな。

 

心理的安全性って言葉が使われるのは、どのような場ですか?メンバーに対してどう心理的安全性についてアピールするんでしょうか。

 

例えば進捗会議で、想定通りに進捗していない場合、「ここでは、あなたたちを否定しません。ですから具体的に、どうして遅れた、どうやって、リカバリーするのか。リカバリーできない場合はどうするのか、この場で合理的に話しましょうね」って感じです。心理的安全性を担保された状態だから、嘘はつかない。結果、遅れたことについてはタスクを付け替えるような対応をします。ある時プロパーがどうして遅れたのかって一言挟んできたので「この会議ではそういうことは言ってはいけない」と指導したくらいです。

 

本人が割を食うというか、傷つくとか、もしくはそれによって他の人の作業が増えるようなことがあると、言わなくなってしまうので、何かを言った後に、一人が対処するんじゃなくて、チームとして対処していくのを見せていくと意見が出やすくなってくるかな。その人だけが後始末しなきゃいけないわけではないこと、あとはこちらがすごく助かることをアピールします。

 

チャレンジするとか意見を言うハードルを下げるみたいなことはPMとして普通にやっているのかなって思うんですね。心理的安全性って言葉の本来の意味と合っているのか分からないけど、事業、タスクを円滑にするコミュニケーションを進めるとか、プロジェクトを進めるっていう意味では潤滑油的な。

 

心理的安全性が担保されたからといって、誰もが活発に議論するわけではない

マイナスなものが出やすくなるということと、みんなが割と自由に発言できるようになるという、大きく二つで、多分、Googleの話は後者。我々プロマネ的には、前者について、心理的安全性が低いがゆえに隠されている大きなリスクが出やすい土壌をどう作るかっていうことは考えます。さんみたいにはっきり言うかどうかは別として、マイナスを報告した人を攻撃してはならないという話は、割と色んな場面でやっていると思う。

 

ちなみに逆のアプローチで同じことをやろうとしている人はいないですか?

 

割と古いマネジメントはそうなんじゃないかな。隠し方が巧妙になるだけだと思うけど。

 

心理的安全性が必要な条件みたいなものが、あると思います。チームのメンバーの特性とかにもよるのかもしれないですけど。

 

チームメンバーの個性は多分めちゃくちゃ効いている。

 

仕事ができる人が集まったところで、心理的安全性を担保しないと仕事しても回らないと思うので、僕は第一義的ではない。

 

必要条件、十分条件みたいな話で、心理的安全性が担保されたからといって、みんなが活発に議論をするわけではない。

 

発動条件がある感じですよね。

 

心理的安全性は手段の1つとして意図的に作り出されるものである

プロジェクトの環境もありますよね。イーロン・マスクの話はTwitterの経営的状況に対してのアプローチとして心理的安全性を捨てたという見方もできると思う。置かれている状況によって取捨選択がある気がする。

 

どういう時に心理的安全性を使い、どういう状況だと使わないかっていう意味ではね。

 

インシデント対応チームで、SLAを守れない状態が半年間続いて、全部先延ばしにしてしまう傾向があって、安全性を担保したとしても、あまり意見が出てこないこともあったので、チーム自体が破綻していると捉えて、安全性は切り捨てました。

 

スキルの問題、モチベーションの問題?

 

モラルだね。

 

スキルとモラルでしたね。

 

Aさんと、X社に乗り込んだ時に、社員の裁量や自由を削減する方向でマネジメントしたことがあります。彼いわく、ビジネスマンとして最低限のモラルが守られるようになって初めて裁量労働制やフレックスの採用を許すべきで、しかるべきステージがある。今のX社はそういう状態にないという彼は見方をしていた。心理的安全性っていうのは一つの手段でしかなくて、特定のケース、特定の目的で、意図的に作り出されるもの。

 

銀の弾丸ではなくて、効果的に使える前提があって、条件が揃ってやるからこそ、心理的安全性が必要という話ですよね。

 

割と恵まれた条件でしか発動できないかもしれないし、緩さと隣り合わせにあるので、リスキーというのもあります。

 

心理的安全性って言葉が世の中に出回っているがゆえに悪にされちゃうんですよね、モラルは大きい。

 

前編はここまで。中編に続きます。