マネジメントの裾野を広げるには何をすべきか?秀玄舎メンバー意見交換会レポート(前編)

定期開催している秀玄舎メンバーによる意見交換会。今回のテーマは「マネジメントの裾野を広げるためにはどうするべきか?」。プロジェクトを推進する上で必須の「マネジメント」が意外と明文化されていない事実をもとに、マネジメントの定義や認知の有無、マネジメントによって得られる成果や因果関係まで、話題は多岐に上った。

マネジメント

 

大きな課題を抱えている案件には「マネジメント」以前の問題がある場合も

 

秀玄舎はマネジメントについて非常に高度な意識と経験を持っていますが世の中にはマネジメントが機能する会社や現場と、しない現場・会社があります。そういう現場・会社で秀玄舎が活躍する為には”最低限のマネジメント素地”というか条件みたいなものが共通しているんだけど、実はあまり明文化されていないように思います。
関わっている会社で課題が増えて顧客さんが困っていますね、みたいな話をした時にガチガチの体育会系の会社だと「期限までに死ぬ気でやれ」って指示が出て「はい分かりました」となるものの、結局何もできなくてただ時間が過ぎていくことがあるんですよ。マネジメントの概念そのものがあまり認識されてないことが結構あるので、その状況で秀玄舎がマネジメント力を発揮できないのかな、マネジメントの裾野を広げるにはという話をしたいです。

 

マネージャーや経営者クラス、リーダーが炎上するのが分かっているのに何もしない。結局炎上してからそこだけ収めるのをずっと繰り返して、何も手を打とうとしないということがあります。そこでやっと危機感はその時芽生えるけど、それ以前に問題が起きた時に、作業している人達が大変になるだろうとか、関心がすごく薄いんですよ。思いやりっていうのか、その気持ちがあるかないかで違うのかなって最近思います。他人事というか「お前が頑張れば」みたいな。

 

今の”思いやり”ってキーワード、実は秀玄舎に入社して割とすぐ、さんに言われたことがありました。結局思いやりがないとマネジメントって出来ないよねって。

 

昔いた会社でマネジメントが機能してなかったなと感じたときはあります。割と昭和的な価値観で、基本的に人は使い捨てるみたいな感覚の会社だったかもしれない。人が潰れてしまっても別に入れ替えればいいっていう感覚で、実際に一緒にやっていても、なかなかマッチしない、考えが合わないと感じましたね。

 

私も価値観が合わないとか前提が共有できない時に、中身に触れがちでしたが、そもそも意思疎通ができるかどうか、相手がこちらの意図を読み取る気があるのかにも障壁があるなと感じます。伝えようとしていることが食い違っても、一部が合っていれば全て読み取った、本気で分かったと思って人もいて、その先の会話が出来なくなるんですよ。すると、こちらも諦めてしまうのでマネジメント以前の問題ですよね。

 

どうすれば、その人や組織にわかってもらえるのか、それが何か知りたいですね。原則とかルールとか、それこそミッション定義にしても。

 

その会社が定めるボトムのレベルを規定しないと全く同じ文章を書いても違う捉え方をされかねないですよね。ついていけない人に合わせていくと、すごく低レベルなことしか出来ないし、その逆でも、解釈の人それぞれバラバラで全く機能しなくなるので、どのレベルの人に通じる会話をするのかを探るのは大事だなと思う。逆に言うと本当に良い人が揃っていると、すごく高度なことだけ定義してもくみ取ってくれるけど、話が通じない人に向けて高度なことをしても、上司は現場のルールを理解できなくて簡単にぶち壊すだろうし、自社・パートナー含めて悩むことになるでしょうね。

 

双方で「マネジメント」の定義が一致していないことが元凶?

 

マネジメントが機能している、していないってどういう状態だろうとか、そもそもマネジメントって結果ですか?プロセスですか?みたいな話でもありますよね。言葉の定義の曖昧さが、原因として大きいと僕は現場で感じているんですけど、何をすればどういう効果があるのという因果関係について、ほとんどの人は多分分かっていない。要は何でマネジメントをすると、今の問題が解決するのかとか、今トラブルになっているのはマネジメントが欠如しているからなのかっていう因果関係のどこかにバタフライエフェクトがあるんですよ。マネジメントするからこれがこうなる、だから今こうなっているんだ、みたいなイメージがないからやらない、この問題はちゃんとマネジメントすると回避できるよねって発想にならないんじゃないかな。マネジメントという言葉だって、ほとんどの会社では、多分ラインの部下を指導することだと曖昧に定義しているだろうし、そもそも正しい定義があるわけではないじゃないですか。我々が入って行くにしても、我々と向こうの間で言葉が一致しないと「まずマネジメント整えましょう」ってならないですよね。

 

マネジメントっていうものが、やっぱりふわっとしている、あるいは考え方が認知されてない印象がありますね。世の中的にはマネジメントって管理職と同じみたいな感覚もあると思うので、どうインストールしていくのか、どうすれば実現できるのかなと思う。「プロジェクトでもう予算がないからマネジメントを減らしましょう」となると、僕たちは矛盾を感じるけど、そう思ってない人には、ただのコスト削減でしかないわけだから、僕たちが見ているものと、向こうの人たちが見ているものには、多分違いがあるんですよね。そこを同じ目線で同じものが見えるようにするというのはどういうことかってところが悩ましいですね。

 

 

たとえばスーパーな人が一人いたら、物ができることがあるじゃないですか。それが二人三人になっていくと、ボラティリティが上がって振れ幅が出ちゃうのでだんだん成功確率が下がっていってしまう。だからスーパーな人が一人でできてしまうというのは、マネジメントがなくても物ができる可能性があると信じてしまう人もいるし、そう思っている人たちとっては、マネジメントがリスクヘッジに見えてしまう。となると「お金ないし、マネジメントを入れなくてもうまくいく可能性がないわけじゃないし、そのままでやろう」みたいなこの発想になってしまいますね。

 

僕は必要なマネジメント量は、絶対あると思います、何割だとかは言えないし、確率が動く可能性も勿論あるけど「これをやるとなるとこれだけマネジメントが必要だね」みたいものが、前提になればいいのにと思います。

             

それなりに大きな規模の組織では、スーパーな人って少なくとも自分の範囲をマネジメントできていると思うんですが、それを可視化できているかどうかですね。だけど会社は多分、何割かがマネジメントfeeと思っていなくて、開発に払っていると認識しているでしょうね。あとは、このプロジェクトにマネジメント事業がいくら必要かみたいなあたりを付けるまでにかかるパワーと、ゴールが見えた上で作るまでに必要なパワーは別物だと思います。最初にがっつりWBSを引いても何ヶ月かかるかわからないっていうのと、ゴール、リリースがもう決まっているところではやはり違う。

 

あとスーパーな人がマネジメントをまかなっているとして「あいつに任しておけばとりあえずいいや」っていうレベルでやっているか「もし彼がいなかったとしたら、これだけマネジメントにお金が発生してしまう」って思えるかどうかの違いも大きそう。

 

スーパーな人が部下だとして、使い方を分かっている上司とセットだと強いけど、他が無能だからスーパーな人が走り回っているのだとしたらリスクが大きい。

 

なぜプロジェクトでは映画やサッカーのようにマネジメントが必要と認識されないのか

 

経営者本人がスーパーエンジニアだと、自分の成功法則で「自分が出来てしまうから、他の人もできるだろう」って思ってしまうこともありますね。

 

そこに合った土壌なのか、虫がついているみたいなことを提示して、適切にやって行くかどうかで取れる作物や花だって変わるっていう話ですよね。必要性に関しては、サッカーで監督がいなかったら駄目だよねって話は通じるけど、仕事上でマネジメントがダメだったら、うまくいかないってことはどうして通じないのかという疑問はあります。

 

そこに頼りきってしまうという意味では「何とかしてしまう人がいるから何とかなるだろう」っていう楽観的な考え方もあるし、何となくリスクが見えているのに、見えない部分に関しては運みたいな思っている人もいますよね。

 

たとえば映画みたいに成功したら監督はもっともてはやされるし、失敗したら仕事がこなくなるみたいな世界観だったら、開発のマネジメントも変わったでしょうね。組織から人を提供するマネジメントだと、自浄作用みたいな機能もないし、専門家が育たない感じがします。ただし開発に近い世界でゲームのプロデューサーもディレクターも企業を転々とするとか、そもそも企業に所属しない人いるじゃないですか。

 

サッカーとか映画とかゲームとか、結果で評価されるタイプのマネジメント職ではなく、普通の仕事のマネジメントは結果を出すためのプロセスとして正しくできるかどうかが、責務な気がします。

 

ただし映画の成功って、監督自身はメンバーの成長に対してほとんどコミットしてないですよね。映画一本がうまくいっても、いかなくても一旦そこで関係は終わりだし。一方で会社は、その人のマネジメントを何で評価するのかが、組織の長まで関与しますよね。

 

でも会社の業務を正しくやるためのマネジメントに関しては、責任とか管理という言葉にすり替えられて、あんまりマネジメントっていう意味で可視化されないのかも。そもそもマネジメントって習わないですね。

 

企業で教えてくれるマネジメントって普通のラインマネジメントで、PDCAを回すとかはあまり習わない。失敗した時も、原因を分解して、こう改善しなくてはという振り返りはあまりせずに、大体誰かが悪いということにして終わらせてしまう感じがありますね。