今流行りの「心理的安全性」ってそんなにいいものですか?秀玄舎意見交換会レポート(中編)

  「心理的安全性は必要なのか?」をテーマとする意見交換会レポート中編。これまで秀玄舎内では「心理的安全性」と言う言葉があまり使われていませんでした。一方、顧客との会話で、このところ頻繁に上がってくるのはどのような背景があるのでしょうか。

各々の関わった事例をもとに話し合いました。

 

トップダウンになりがちな大企業で心理的安全性は推進可能?

プロジェクトを運営しながら、その組織のマネージャーや上司として関わるとき、そこおかしいよって指摘すると、心理的安全性を害することになるかもと躊躇うことがあります。なぜそういうことが起きるのかって、結局仕事できる、できないとか、建設的意見の積み上げができないとかに通じるのかな。

 

お客さんでも社内でも「私に言われちゃったから考えるのをやめよう、もう言われた通りにしよう」ってなると、色んな意味で意見がしにくくなる。その人に対してもだし、その人以外も、「こういうことを言うとツッコまれるならやめとこう」って、複雑な影響を与えるなと。心理的安全性って公言すべきことなのか、一定のレベルの建設的議論ができる土台があるところで定点観測するぐらいの話なのか悩みます。

 

さんなら分かるかもしれないけど、大きい会社で心理的安全性導入しましょうって方が結構リスクが大きそうですよね。

 

大きい会社かどうかより、組織がどれぐらい自由に動くことを許容しているかで違う気がします。ある程度全員がルールを守ることを前提に動いている巨大な組織もあるけど、アメーバ経営みたいなところは、そもそも上司に言われたことをやらない人がいることが前提で巨大組織が回っているんですよ。だから日本の大企業は上が言ったことに突っ込まない前提で動いている組織が多いだけなのかなという気がします。Googleもマネージャーは要らないっていう社風だから、こうなっているだけでAppleとかはちゃんと歯車として動けって感じの社風だと聞きますけど。

 

組織戦略に従うみたいなことですよね、こういう材料で動かす方式にするのか、フォーメーションして定型でやるのかっていうのは。

 

そういう自由な組織って、思想としてアジャイルに近いものはあるのかもしれない。私が大企業とか前にいた会社で自由なことをやろうとすると、社員には一定の基礎的なスキルなり、コンセンサスを求めるんだと感じたんですよね。

 

原則みたいなものに従って物事が動くって、その基礎原則と具体的な仕事の間の因果関係をちゃんと積み上げる人じゃないと、とんでもない間違った解釈をされることもあります。原則としては間違っていないけど、そもそも社会人の業務ルールとして間違っているみたいな。そのために業務ルールを百個も定義するわけにもいかないから、すごくベーシックな仕事に対する規律は要るんだろうなと。要はGoogleの言っていることは、やっぱりGoogleだからだよねっていう面は残る感じはします。

 

人それぞれ最低限ここまでみたいな線引きがあって、その上に絶対条件があるんでしょうね。

 

成熟度のレベルが5段階あるとしたら、レベル2、3以上のメンバーが揃っている時には機能するけど、1の人が入ると機能しないとか。しかもその人に指摘すると、マネージャーが心理的安全性の担保を害することをやっているように見えることもあって、成立条件が難しそうだと思います。

 

心理的安全性さえあれば、議論は活性化するのか?イノベーションは起こるのか?

このキーワードを言った瞬間にみんな喋ってくれるようになるなら、いつでも使いますけど、絶対そんなことないと思うんですよ。どちらかと言うと、この会議はこういうルールにしようねってことをベースに、心理的安全性と言われるものが担保されるようにアレンジはするだろうけど、心理的安全性があるからみんな喋るとか報告するとかはないかなって思う。逆に、このせいですごく閉じこもる人もいるだろうし、このキーワードを補佐が言い始めたらヤバいんじゃない?と思います。使い方というか、ルールだと僕は思いますね。

 

トップが心理的安全性を高めたいとアナウンスしたらもうダメだと思う。

 

裏返すと心理的安全性が担保されない組織になっているということですね。

 

ただ経営層と話をするとき、心理的安全性が今あまり高くないね、みたいな話はよく出てきますよ。経営者たちは、自分たちが裸の王様であることをものすごく恐れています、自分が配慮してないがゆえに、現場から意見が出てこないんじゃないかということを。そこに対して心理的安全性を高めるとか、色んな意見が出やすくするためにどうすればいいだろうという相談はよくある。そこに我々はどうアプローチするかは議論としてあってもいい。

 

過去の成功事例の再生産ではなく、現場から色んなイノベーションが起きる組織を作らなければならない、そのためには自由闊達な議論ができる会社でなければいけない、そのためには心理的安全性が必要である。という三段論法は割と根強い。でもさんが最初にイントロしたように、心理的安全性があるから闊達な議論ができるのか、それとも闊達な議論している組織をたまたま分析したら、うまくいっているのかは割と怪しいので、掘り下げたらいいと思う。心理的安定性のある組織が100あって、そのうち98がイノベーティブだったらすごいけど、心理的安定性のある組織が100あってイノベーティブなのは10とか、逆に心理的安全性の無い組織が100のうち、実はイノベーティブが30とかはありえる。イノベーティブであることが心理的安全性によるのかは相当怪しい。

 

心理的安全性という言葉を使わなくても、違う意見が共存できる場は形成できる

横文字って学んだところや時期によって意味が違うので、すごく都合がいい名詞になるし、心理的安全性もそうだと僕は思いました。しかも漢字にすると非常にいい感じに見える。

 

ふわっとして心地いいですよね。

 

我々は「心理的安全性が高いよね」とか議論したことは1度もないですよね。とはいえ、やはり我々にはある種の議論に対する耐性というか、十何年も培ってきたことだろうという多少の自負はあります。

 

昔、秀玄舎にSさんっていう怖い人がいて、定例会でみな詰められて帰っていく時代があったんですよ。でも否定的なものも含めて意見をばりばり出していたので、それが心理的安全性と呼ぶのか、今の方が安全なのかはちょっと分からないです。

 

僕自身は、我々にとってこういう議論する場が大事というゆるやかなコンセンサスはあると思っています。でもSさん時代と今と、どちらが進歩しているかというのは難しい質問ですね。Sさんは割と画一的な人間像を大事にしていて、要はパーフェクトマンを標榜した人だったので、彼がいなくなることを考えた時に、会社がそのままだとしんどいだろうから、社員が、一人ひとり違っていいというコミュニケーションの場を作ろうと思った時期があります。

 

会社の基盤を作っていた頃はSさんみたいな人がいた方が強かったのかもしれないけど、その後の継続性とか、色んなものにアジャストする会社にしようとしたときには、今みたいにさんとか、さんとか、さんとか、エキセントリックな人たちがいられる場を作る方が大事だろうと思っているんです。

 

さんもそうだと思うけど、違う意見の人が共存できる場所で緩やかに合意が形成されるバランス感覚を、意図的に作っていた時期はある。心理的安全性だと思って作ってはいないですけどね。でも採用のスクリーニングで、議論が好きな人じゃないと入れませんとは言っていましたね。

 

目的があって、こういう組織がいいねってコンセンサスがある中では、心理的安全性について議論する場も意識することもない。

 

心理的危険性」って言葉を多用する、権力を振りかざしたい人たちがいるじゃないですか。秀玄舎はそういう人がいない会社なのかなって。そもそもそういう人たちは秀玄舎には合わないと思うし。Sさんは権力を振りかざすタイプの人ではなくて、論理性みたいなものを追求しまくって、それが納得できないと拒否する人だったかもしれないけど。

 

創成期のタイミングは一気に引っ張るというか、持ち上げていく力が要るんじゃないかな。みんなふわふわしている状態で、成長するぞとか言っても成長できないと思う。

 

心理的安全性が高いところは必ずしもルールが少ないかというわけでもなくて、モラルが高く、みんながルールを守っていると、そこに心理的安全性が生まれたりするものです。だから心理的安全性を高めるために、みんなを自由に発言させようというアプローチはやはり筋が悪い気がする。

 

となると、原因より結果に近そうだね。

 

中編はここまで。後編に続きます。

今流行りの「心理的安全性」ってそんなにいいものですか?秀玄舎意見交換会レポート(前編)

  定期開催している秀玄舎メンバーによる意見交換会。今回のテーマは「心理的安全性は必要なのか?」です。近年、ビジネスにおけるバズワードとなった感があるが、議論が深まっていない部分も散見されます。

秀玄舎では2022年12月24日に心理的安全性を担保することのメリット、必要性や、心理的安全性と活発な議論の相関など、様々な切り口で意見を交わしました。その模様を前編・中編・後編に分けてお届けします。

 

心理的安全性はチームが効果的に振舞うための原因?or結果?

ご存じかと思いますが、心理的安全性とは、直に発言するとか、疑問やアイディアを話しても責められない、対人関係のリスクを回避する、安全性が確保された意味合いです。対極にあるものとして、パワハラとか人格攻撃とか、意見を言わずに空気を言わない、忖度とかなどがあります。

 

居心地の良さを盾にして、結果的に隠蔽体質になってしまい、意見が出ないということもありますね。Googleのレポートではチームが効果的に振る舞えるための五要件ぐらいあるうちの一つとして心理的安全性が挙げられていて、色んな意見が出るだけでなくて、多様な意見によってイノベーションや新しい事業が生まれるなどの側面があります。一方、見落としがちなのは「言われる」側です。否定的な意見や違う意見を言われても気にならない、むしろ違う意見が出てきたぞって喜べるメンタリティもセットになっているのですが、ここが抜けがちだし、意識づけが結構難しい。安全に建設的な議論を戦わせるのは難しいねとよく秀玄舎内でも話してきました。

 

最近象徴的だったのが、イーロン・マスクTwitterを買収して、たてついた社員をクビにしてしまう件がありました。もう一つは、プロジェクトアリストテレスというGoogleのリサーチが「心理的安全性があると良い」と言っているのですが「心理的安全性が担保されれば、効果が出る」という因果関係を語っているわけではなくて、原因なのか結果なのかまで踏み込んでないんです。しかもGoogleという特殊性を一般化して、普通の企業に当てはめても大丈夫なのか、真似ても同じ結果になるとは限らないのに…というのもあります。

 

心理的安全性ってそんなにいいものなのか?本当に必要なのか分からなくなってきているので、皆さんがマネージャーとしてどう向き合っているのか、この場で話せたらいいなと。

 

秀玄舎では世の中で広まっているほど心理的安全性の話を聞かないんですが、PMとして心理的安全性を管理や意識していますか?もしくは無視していますか?

 

一般的な言葉なので、「心理的安全性を担保した上で皆さん意見をください」という使い方をしています。個人的には、心理的安全性が第一義的に必要だとは思っていません。意見を出してくださいという土壌があれば、心理的安全性はなくても意見は出ると思います。そこに心理的安全性を確保すれば、もっと意見が出やすい土壌になるっていうだけかな。

 

心理的安全性って言葉が使われるのは、どのような場ですか?メンバーに対してどう心理的安全性についてアピールするんでしょうか。

 

例えば進捗会議で、想定通りに進捗していない場合、「ここでは、あなたたちを否定しません。ですから具体的に、どうして遅れた、どうやって、リカバリーするのか。リカバリーできない場合はどうするのか、この場で合理的に話しましょうね」って感じです。心理的安全性を担保された状態だから、嘘はつかない。結果、遅れたことについてはタスクを付け替えるような対応をします。ある時プロパーがどうして遅れたのかって一言挟んできたので「この会議ではそういうことは言ってはいけない」と指導したくらいです。

 

本人が割を食うというか、傷つくとか、もしくはそれによって他の人の作業が増えるようなことがあると、言わなくなってしまうので、何かを言った後に、一人が対処するんじゃなくて、チームとして対処していくのを見せていくと意見が出やすくなってくるかな。その人だけが後始末しなきゃいけないわけではないこと、あとはこちらがすごく助かることをアピールします。

 

チャレンジするとか意見を言うハードルを下げるみたいなことはPMとして普通にやっているのかなって思うんですね。心理的安全性って言葉の本来の意味と合っているのか分からないけど、事業、タスクを円滑にするコミュニケーションを進めるとか、プロジェクトを進めるっていう意味では潤滑油的な。

 

心理的安全性が担保されたからといって、誰もが活発に議論するわけではない

マイナスなものが出やすくなるということと、みんなが割と自由に発言できるようになるという、大きく二つで、多分、Googleの話は後者。我々プロマネ的には、前者について、心理的安全性が低いがゆえに隠されている大きなリスクが出やすい土壌をどう作るかっていうことは考えます。さんみたいにはっきり言うかどうかは別として、マイナスを報告した人を攻撃してはならないという話は、割と色んな場面でやっていると思う。

 

ちなみに逆のアプローチで同じことをやろうとしている人はいないですか?

 

割と古いマネジメントはそうなんじゃないかな。隠し方が巧妙になるだけだと思うけど。

 

心理的安全性が必要な条件みたいなものが、あると思います。チームのメンバーの特性とかにもよるのかもしれないですけど。

 

チームメンバーの個性は多分めちゃくちゃ効いている。

 

仕事ができる人が集まったところで、心理的安全性を担保しないと仕事しても回らないと思うので、僕は第一義的ではない。

 

必要条件、十分条件みたいな話で、心理的安全性が担保されたからといって、みんなが活発に議論をするわけではない。

 

発動条件がある感じですよね。

 

心理的安全性は手段の1つとして意図的に作り出されるものである

プロジェクトの環境もありますよね。イーロン・マスクの話はTwitterの経営的状況に対してのアプローチとして心理的安全性を捨てたという見方もできると思う。置かれている状況によって取捨選択がある気がする。

 

どういう時に心理的安全性を使い、どういう状況だと使わないかっていう意味ではね。

 

インシデント対応チームで、SLAを守れない状態が半年間続いて、全部先延ばしにしてしまう傾向があって、安全性を担保したとしても、あまり意見が出てこないこともあったので、チーム自体が破綻していると捉えて、安全性は切り捨てました。

 

スキルの問題、モチベーションの問題?

 

モラルだね。

 

スキルとモラルでしたね。

 

Aさんと、X社に乗り込んだ時に、社員の裁量や自由を削減する方向でマネジメントしたことがあります。彼いわく、ビジネスマンとして最低限のモラルが守られるようになって初めて裁量労働制やフレックスの採用を許すべきで、しかるべきステージがある。今のX社はそういう状態にないという彼は見方をしていた。心理的安全性っていうのは一つの手段でしかなくて、特定のケース、特定の目的で、意図的に作り出されるもの。

 

銀の弾丸ではなくて、効果的に使える前提があって、条件が揃ってやるからこそ、心理的安全性が必要という話ですよね。

 

割と恵まれた条件でしか発動できないかもしれないし、緩さと隣り合わせにあるので、リスキーというのもあります。

 

心理的安全性って言葉が世の中に出回っているがゆえに悪にされちゃうんですよね、モラルは大きい。

 

前編はここまで。中編に続きます。

非IT部門に求めるITスキル/リテラシーとは何か? 秀玄舎メンバー意見交換会レポート(後編)

  「非IT部門に求めるITスキル/リテラシーとは何か?」について語り合った意見交換会の後編。とあるパートナー向けに現在進めている教育事業の課題についても話が及びました。

            

 

非IT職の人にいかに危機感をもってもらうか

教育事業のカリキュラムを考えてて、ずっと違和感があるんですよね。 正月に「今年は教育カリキュラムを作らないとなあ」と思って本屋さんに行って、ITパスポート試験の教科書を買ってきたんですよ。 中を見てみるとIT担当者として必要な知識として、すごくたくさんの項目があるわけ。 だけど、「本当にそれらの知識を持ってほしいのか」って問われると、すごく違和感がある。 だから、座学で知識を教え込むっていう教育を、我々は教育事業としてはやらないんだろうなって思います。 今日の話だと「どう危機感を持ってもらうか」とか、「どう『スペシャリスト信仰』を崩すか」、 みたいな話のほうが本質的かもしれないですね。

 

うちのパートナーさんの中にも、全社員にITパスポートをとらせようって話があがってる会社があります。 社員の苦手意識が根底にあるんだと思います。 いろんな方面に幅広く、ITに対する最低限の知識を勉強することによって、その苦手意識の壁を、超えやすくなるんじゃないか、だとしたらITパスポートを取らせることは、1つ意味があると思います。 社員が、特定の分野だけ詳しくなっても、 他の分野は「できない」だと、会社として困るので、ひとつの策として、『幅広くまずインプットする』ってのはアリかな、と思います。

 

だいたい自分でバリア張っちゃうんですよね。 「わたしのやることはここまで」みたいな。

 

今回、教育プログラムを受講するパートナーさんに関していうと、 悩ましいのは会社全体としてあまりITに重きを置いてない点です。 会社の戦略として、あまりITに依存してません。 今回の教育プログラムに関しても経営的危機感でやってるわけではありません。 そんな中で現場の人に「あなたたちはITの勉強やらないとこれから先大変だよ」みたいなことをメッセージとして、今のところ出しづらくて。。。

 

やっぱり最初は「やれ」だと思いますよ。 やる意味を考え始めると、たぶんわからない人達の方が多いから。 とりあえずITを触ってみるっていう状況を作らないといけない気がするけど。

 

ITの人が、ITをわからない人に、ITの必要性や、ITリテラシーの低さに対する危機感を植えつけるということはできないのかな?

 

時間かかる事務作業を何かやらせてみて、「ITを使ったら、このこの事務作業は数秒で終わります」というのを体感させればいいんじゃないですかね。

 

メリットデメリットを考えたとき、メリットの幅が小さければ、非ITの人はもっと反応が薄いんでしょうね。 電話で会議したりとか、会議の場所をセッティングするよりも、Zoomの方がメリットが大きいってわかるから導入してもらいやすいけど、そのメリットが小さく見えたとしたら、「今までのやり方でいいよね」ってなりそうなイメージがあります。

 

アーリーアダプターとレイトマジョリティとラガードって言葉がありますよね。 新しい技術が世の中にできると、とりあえずやってみようとか、これはうちでやるとどうなんだろうと考える人たち 、すなわちアーリーアダプターって全体の2割ぐらいいる人たちで、 我々みたいなIT屋にとってはすごくいい人たちなんだけど、世の中の全員がアーリーアダプターという世界は、大変かもしれません。 安定した運用はたぶんレイトマジョリティとラガードが支えていて、みんながみんな新しいことをやりだしたら大変ですね(笑)

 

もはやITって全般的にそんな最新のものというイメージは無くなってきてるから、非IT層にもITが浸透する時代になるんじゃないかなと思ってます。 もうそろそろ「ITがかっこいい」にならなくなってくるんじゃないかな。

 

Z世代とかITネイティブの人たちにどうあって欲しいかの議論ができるほど知見がないな。 その人たちのことをよくわかってないので。

 

そういう人たちにとって当たり前のITは、僕らが思ってる当たり前のITよりも新しくて、彼らはそれが普通だと思っている。 だから僕らは古臭いITの人たちと思われてもしょうがないのかもしれません。

 

今日は、「非IT部門に求めるITスキルとは何か?」がテーマだったんですけど、今までの話だと、全般的にITスキルやリテラシーとはちょっと違いますね。 その人のパーソナリティというか、能力というか、資質というか。

 

最初の方にでていた「ITの効用を思いつくかどうか」なのかな。 IT化するっていうことを構造的に体感している人が該当するんじゃないかと思います。このモデル作りをどこかでできるといいけどね。 そういう人がどういう発想をしているのか、脳内はどうなっているのかは次のテーマかな。

 

今日はこんなところでおしまいにしたいと思います。 皆さんありがとうございました。

 

いかがでしょうか。システム側の人間から見た意見なので、非IT部門の方からみたらどう感じるのか、気になりますね。

非IT部門に求めるITスキル/リテラシーとは何か? 秀玄舎メンバー意見交換会レポート(前編)

  IT人材不足が叫ばれる昨今、特に非IT部門においては、IT人材の育成は、対処すべき緊喫の課題となっています。非IT部門において、ITスキル/リテラシーの備わったIT人材というのは本質的にどういう人のことなのでしょうか。 例えば、やたらIT用語とか知識に詳しい人よりも、新しい用語、わからない単語にぶちあたったときそれを調べて正しく理解できる人を増やしていきたいという話もあります。ビジネスサイドのプロジェクトオーナーとして、IT人材の育成について、必要な姿勢とか行動はどういうものなのでしょうか。

秀玄舎では2022年5月29日に上記のテーマで意見交換会を実施しました。その模様を前編・後編に分けてお届けします。

 

非IT部門に求めるTスキル/リテラシーとは何か


            

 

非IT職の人ってどういう人?

本日のテーマは 「秀玄舎が考える、非IT部門に求めるITスキル/リテラシーって何か?」 です。 まず、「今まで接したパートナー企業の非IT職の人に点数をつけるとしたら何点か?」を取り上げてみます。

 

とある企業の社長で、ITはまったく門外漢な知人の相談に乗ることがあります。ITはまったく門外漢だけど、ITを使うのは上手い人です。 その人は「何らかの業務があると、これは何かのシステムに置き変えられないだろうか」っていう発想をよくします。そういう「業務をITに置きかえられる能力」が基準点かな、と。 その人は僕の中では70点くらいのイメージ。

 

一方、LINEとメールぐらいしかできませんっていう人ももちろんいて、そういう人は、業務をITで置き換えるなんて発想はしません。 こういう人は20点ぐらいのイメージ。前者の業務をITに置き換えられる、70点くらいの人は43歳で、後者のLINEとメールしか使えない20点の人は31歳です。

 

年齢は関係ないのかもね。

 

ITに関して素人の方から、「〇〇って簡単にできるでしょ」ってよく言われるんですが、 それって簡単にはできないことばかりなんですよね。 例えば、 Microsoft Accessが流行り始めた頃「Accessでやったら簡単なのに、なぜシステムにすると何百万もかかるんですか?」っていうような人です。 「発想できるのはすごいと思うけど、中途半端な知識で色々言ってこないでよ」って思うこと、たまにあります(笑)

 

その誤認識を正すのが我々の仕事だと思います。 「Accessでできることがなんでこんなにお金かかるの?」って言われた場合、そのAccessはいくら使って開発してるのって話になりますね。

 

お二人の話を聞いていて、手元のスマホで通話ができるしチャットもできるけど、そこで留まっている人って、できるできないの現実性はともかくとして、「その先」を考えようとしない人なんだという印象をうけました。

 

「その先」を考えるためのベースってなんだろう? スキルなのかな?なんか違うような気がするんですよね。

 

IPO(インプットプロセスアウトプット)の考え方ができるかどうかかもしれないですね。 インプットがあってプロセスがあって、アウトプットできるという考え方が出来る人かどうかの違いで、IT関係ないかも。

 

いろいろ足りない、そういう発想にも行けないような20点の方々って、自分自身のそういう現状には気づいてらっしゃるんですかね?

 

危機感はないでしょうね。 現状でも自分の事業が儲かっいて、危機感はないんですよ。

 

今の自分自身にIT知識が足りないという現状を把握していらっしゃる雰囲気はありますか?

 

IT知識が足りているかどうかって、周りと比較することで認識するじゃないですか。 その方は業界内では、普通な方で、業界全体のITリテラシーが遅れてるんですよね。

 

じゃあ、その方は視野を業界外まで広げなきゃ、永遠に遅れに気付けないまま?

 

そう、遅れているままだけど、儲かってはいるという状態が続く。

 

儲かってるならいいのかなー(笑)

 

IT化と収益力は必ずしも相関しないってことですよね。

 

そうですね。

 

非IT職の人はITが分からなくても許される?

ちゃんとエビデンス取ったわけじゃないけど、 ITに関してだけは、よくわからなくてもテヘペロで許される雰囲気がずっとあるじゃない? 「おじさんはITわかんないから」みたいな。あれ何なんでしょうね?

 

現状、それで事業が成立するからなんじゃないですか?

 

でも、大きい会社のオジサンですら 「俺さー、パソコンとかわかんないんだよねー」みたいなこと言うじゃない? あの免罪符はなんなんだろう(笑)?

 

それで成り立つからですよ。 大手企業の役員でもそういう人いっぱいいますよね。 秘書が一所懸命に教えるとか、他の人が全部対応するとか、そういうケースですよね。

 

そのテヘペロの分野って、ITに限らないと思います。 「僕、数字苦手ですね」とか「僕、法律苦手ですね」と同じ。 だからこそ、日本は専門家信仰ってのが成立するんです。

 

「餅は餅屋」みたいなかんじですよね。

 

企業によっては、「業務のことはわからないから、業務のことは業務部門が考えてよ」といって開き直っている情シスもありますよね。。 だいたい上手くいってないと思いますけど。

 

そういったITよくわからないって言っている非IT職の方に、ITリテラシーを身に付けてもらおうとした場合、どうすればいいんですかね。どこを刺激すれば、勉強してくれるんですかね。

 

「餅は餅屋」という認識をどうやって崩してあげるか、 そして、ITリテラシーを身に付けると、こんなメリットがあるよというところまで、きちんと説明して納得してもらわないと、動いてくれないんだと思います。

 

前編はここまで。後編に続きます。

これからの情シスはどうあるべき?秀玄舎メンバー意見交換会レポート(後編)

「情シスとは今後どうあるべきか?」をテーマに議論した秀玄舎メンバーによる意見交換会中編。情シスが期待される領域はここからいかに拡大し、同時に事業全体にどこまで影響力をもたらすか。秀玄舎が今後向かうべき指針ともなり得る会話も散見された。

 

 

ビジネスモデルのシフトも問われるDX推進。ITの知識だけに着目していてもベストな人材は見当たらない

 

 

さんが言うように情シス界隈には色んなファンクションがあるし、それをどこまでやるかは会社にもよるし、そこに居る人材にもよる。ただ、今どきの情シス会社にデジタルイノベーションのファンクションが求められ出していて、情シスがどう向き合うかが問われているのか確か。

 

今まで情シスは答えを出せない部署だったのに、いきなり答えを求められるのは無理じゃないですかね。CIOを置くのか、何か別のことをするのかアクションは必要だと思うけど、ただ「情シスができるようにしましょう」だけは、丸投げ感があるなあ。

 

DXをやろうとするとどうしてもITの知識に着目しがちだけど、ビジネスモデルを変えることもすごくしんどい仕事じゃないですか。既存事業の人みんなから反発を受けるのなんて百も承知で、そこに気概があるかに着目して人材を探す方が大事な気がしますね。言われたことに対応するのをミッションとしていた間接部門の人たちに、急に「これからはお前たちが意志を持って事業部を引っ張っていけ」なんて言っても、180度仕事の仕方も違いますし。

 

イノベーションを起こせて、リーダーシップがあって、ビジネスにも入っていける人なんてそうそういないし、誰も何かしら欠けているのだとしたら結局情シス部長でもいいじゃんってなりますよね。

 

今、私が情シスに呼ばれているのは、”誰の気も使わず無邪気なことを言うと、現場では一体何が起きるか?”という実験台として使われているのかもしれません。あとは、何かやらかしても「外部のデザイナーが言ったことなので、あくまでも提案です」って逃げられるのもあるかも。

 

無邪気なさんを連れてくる以外の選択肢は?

 

やっぱりコミュニケーションじゃないですか。他の役員や部署に対してITを詳しく知っている人が入って、何ができるかみたいなことを議論するだけでも火を付け回るみたいなことさえできればいいんじゃないかって。

 

スーパーマンだけではイノベーションは生まれない

 

現場と話すと、色んな選択肢や引き出しがいっぱいあることに 意味がある気がする。昔は情シスがビジネスに歩み寄っていたけど、ビジネスサイドがITに詳しくならないとイノベーション起きない。だから今パートナー向けにやっている人材育成プログラムでは”あなたが詳しくなってください。”と言っているわけですよ。今DX、DXと言われているけどイノベーションにはスーパーマンだけいてもダメで、スーパーマンがいないとすると現実解として何ができるんですかっていう。

 

結局情シスの部長に「これをやってね」って言って、結果できなかったらアサインミスですよね。例えば、あるCEOが情シスの部長にミッションを与えようとしても、客観的に見て、その情シス部長には能力が足りない、達成出来ないと思われる時ってあると思うのですが、でもその”能力が足りない”ことをCEOが気が付けていないのはダメですよね。
ミッションを与えるときに、その人が実現できるかどうかを見極めた上で依頼する必要がありますよね。受ける側は当然それができなきゃいけないし、イノベーションを起こせる人が求められているってことも理解しておく必要がありますよね。たとえできなくても「チャレンジします、頑張ります」みたいな人だったら、やらせるしかないけど。アサインってそういうことじゃないですか?

 

すごい。結局、経営陣はその情シスの部長に「いつまでもイノベーションを起こさないなあ、あいつダメだなあ」って思っているけど、本人には言わない。その情シス部長も「俺、色々頑張っているのに誰も俺の事評価してくれないなあ」と思っていたわけ。そこで現場のビジネスサイドの人を配置したんだけど、結果、両方とも辞めちゃったんですよ、結局コミュニケーションの問題ですよね。

 

ほぼ日本のDXの縮図の話じゃないですか。

 

向き合い方とかノウハウをもう少し突き詰めてもいいかなと思うんですけど、さっき話していた「無邪気なさん」の役回りを秀玄舎がやってもいいかなと思いますね。

 

デザイナーが仕切る会議は面白いですよ。結構色んな人から意見が出て、勝手にみんながまとめてくれて、そのまとめた結果だけ絵にして残る感じだから、割と経営者とも相性いいんじゃないかな。

 

守破離の守に留まらず、破と離にも挑めば更に価値を高められる

 

結局何が起きるか分からないんですね、だってだれもやったことないんだから。

 

型を持っている会社はあるでしょうけどね。バリエーションがどこまであるのか、アイデアは見てみたいですけど。

 

何かしらのプロセスを踏みながら、それが出てくる土壌開拓みたいなのをいかにやっておくかという積み重ねじゃないですかね。

 

守破離みたいな世界がきっとあるんですよね。

 

情シスとか関係なくて、全社でやればいいじゃんとも思いますね。逆にイノベーション誰かにお願いするみたいなことってそもそも筋が悪い。

 

守破離までやってやめちゃう人は多分イノベーション起きなさそうなイメージ。
うまく行っても行かなくても、破離までいけば何かしら出そうなのに、守の時点で「あー、やったのに結果が出なかった」で終わっちゃうパターンが多いんじゃないかなって思います。

 

割と世の中のコンサルって守破離の守を付けるものですけど、秀玄舎としては、破とか離をやりたいね。そこに行かないと何かに取り組むにしても価値が出ないよね。

 

イデアの研修は色々と振り返りたいエッセンスがありましたよ。例えば、6週間後のゴールを各自全員にまず描かせるとか。誰かがゴールを設定するんじゃなくて、全員が発表するのがすごく面白かったし、途中でコンフリクトが起きそうなアイデアが出て来た瞬間、経営陣全員で総反発して、そのアイデアを黙殺して、今まで通りの路線でビジュアルにまとめ出した様も面白かったです。
コーチングそのものを教える事で、社内を改革するプログラムで、どうしてお客さんの役に立っているか、あんまりロジカルじゃないポイントが途中にあったんですね。そこと向き合えませんか?って言った瞬間、これはこの場の論点じゃないとか、いろんな人が反発し出して、その後すごくつまらない会議になったことがあるんですよ。そういうのも含めて不確実性の中で起きたものを、口先だけじゃなく何でも許容判断できる経営者のジャッジメントも大事だし、色々なエッセンスが集まっている気がします。
割と総論賛成だったのに実際やってみると、「こんな会議は全員でやるべきじゃない」みたいになりがちっていうのはDXにもよくある話ですね。
今まで一番強いと思っていたところが一番DXに向いてないコアだった、さあどうする?みたいな。

 

今回は僕の問いの立て方がショボかったっていう話と、結局、情シスがどうあるべきかじゃなくて、会社が厄介なデジタルイノベーションっていうのにどう立ち向かうかの話でしたね。それは会社にいる人だったり、会社のキャラクターだったり、色んな引き出しがあったほうが、色んな状況に対応できるねっていう。

 

結論だけ聞くと、すごくつまらない話にも聞こえますけど、そこに経緯まで含んでいると面白いですね。

 

結論じゃないけど、なんとなくいいとこまで話した感じしますね。それでは本日はこちらで終了です。

これからの情シスはどうあるべき?秀玄舎メンバー意見交換会レポート(中編)

「情シスとは今後どうあるべきか?」をテーマに議論した秀玄舎メンバーによる意見交換会中編。これまで情シスが陥りがちだった「丸投げ」や「押し付け」状態を回避する策はあるか?イノベーションを起こすためにまず取り組むべきことは?議論は想像を超えた展開に進展した。

 

ワークショップやカンファレンス…ITのイメージが湧かない経営層に有効なアプローチはあるか

 

 

情シス含めてITの部分をどうデザインするか経営者レベルで考えられているかどうかってことですね。しかし「うちの情シスは駄目だ」って言っている人に限って全然イメージできていない可能性もありますね。

 

むしろどういう情シスであれば社内がすごく有機的に話できるのか、イメージ湧いていますか?って聞き返したら、多分まともなイメージを持っていないでしょうね。
「それはITの専門家が考えるべきだ」みたいな話になってしまって、それってビジネスの将来の構造を放棄しちゃっていますよね。

 

ただ、鶏が先か卵が先かの話になっちゃうけど、ある程度経験して苦労してみないとITのことは分からないじゃんっていう話でもあるよね。とりあえず今のリソースでやるだけやってみて、何が足りないか考えなさいというのも酷かもしれない。

 

今あるリソースで無理なら、外部の人を連れてきて、それこそ三ヶ月のワークショップでもやって体感してみたら、ちょっとイメージ湧くようになるんじゃないですかね。経営者向けにワークショップとか、カンファレンスはちょっとやってみたいな。エンジニアやデザイナーには交流会や勉強会があるけど経営者は、なかなか勉強しに行くとこがなさそうだし。

 

そういう勉強会があっても、経営者は行かずに情シスのトップが行かされているような気がしますけどね…。経営層がITのことを考えてないパターンだと全部情シスに押し付けようとする風潮があるので、本人が変わらなきゃ意味がないですよね。今の話を聞いていると、攻めと守りを分けようとしているから、却って分断しているような気もするんですよ。

 

情シスは元々ディフェンダーなので、ミスをしないことにばかり注力していて現場から嫌われるということがあるんだけど、無責任に「それって本当に悪いことなの?必要なコンフリクトじゃないの?」って考える人もいるんですよね。

 

そういう無責任なことを言う人をなだめてくれるキャラクターが情シスにいると強いですね。

 

僕が22歳で入った広告代理店の部長は物凄くそれが上手かったんですよ。当時、基幹システムのリニューアルをやっていて、現場の事業部長とかマネージャーに対して、これから何が起こるってことを毎日行脚して根回ししていたんです。はたから見ると1日中お茶しているだけなんだけど、僕の原体験として、情シスの部長ってこういう仕事だなって今でも思います。

 

そもそもうまく噛み合っている会社は困ってないから、秀玄舎に相談に来ないんじゃないでしょうか(笑)逆説的だけど、僕らが知っているのはうまく噛み合っていない話しかないんじゃないかな。

 

情シス部長に必要なのは営業力?or課せられるミッション次第で異なる?

 

僕は結局情シスが何をするところかも分かっていないんですよね。PCをセッティングするイメージもあるし、基幹システムを守っているイメージもあるし。福井さんがさっき言っていたお茶している部長さんの部隊の人たちはシステムを守らなきゃいけない立場なのに、いつも部長不在だったら「あの人何やっているの?」って部長さんのことよく思わないかもしれないですよね。金融系のシステムみたいにガチガチに守らなきゃいけないところもあれば、事業部門に「もうちょっと柔軟に動いてほしい」って言われる話もあるから、結局役回りによって全然違うというか、そのポジションにおける責任をどう全うするかによるんじゃないかなとは思います。

 

外食大手のグループで、グループ共通の情シス会社があるんですよね。グループの業態ごとに社長がいて、その社長は共通の情シスのシステムを使うも、自分たちで自社開発するのも、ある程度自由に裁量権任されているらしいです。そのシステムがグループの利益や個別の最適化にいかに寄与するかを実際にシステムを使ってもらう事業部の人をプレゼンしに行って、ある意味、社内での営業努力みたいなのが問われるんですよ。難しいけれど悪い姿ではないかもしれないなと感じていました。

 

今どきの情報システム部の部長に必要なものって営業力みたいなところもありますよね。経営陣に対してアピールできないCEOなんて飛ばされちゃう。

 

その情シス部長に課せられているものが何かによると思うんですよね。それこそDXを推進せよという話なのに、ずっと守りの体勢でいたら、何やっているの?って話ですけど、基幹システムを守ることが一つのミッションなら、それはもうがっつりやるんじゃないの?って。だからミッション次第かなって気もするけど。

 

そのミッションもあまりにたくさんあると多分キャパオーバーになるし、どこを向いていいのか迷うだろうから、その辺は経営層とうまく意思疎通が取れたらよくなりそうな気はしますね。必要であれば、はっきりと部署を立ちあげてDXを推進するとか。

 

そういうファンクションが会社に必要だったとして、それが情シスである必要があるかどうかはよくわからない。

 

誰か考える人が必要なんだけど、情シス部長が言われるままに押し付けられちゃいがちなところはありますよね。

 

イノベーションそのものを情シスに押し付けているなら、その体質に問題がありますよね。

 

ITに詳しいからITイノベーションを起こすわけではないよね。僕は色んな現場で、両方に詳しい人を何とかして育ててくださいってずっと言い続けてきたけど、それがそもそも難しい。

 

両方に詳しい人がいたら議論しやすいというのは確かだと思います。最近私が向き合っているのは詳しくないことまで含めて議論できる人とか、議論をファシリテートしようとする人、要は自分の得意領域以外の話も一定レベルかもしれないけど、理解して何らかの結論を導こうとする人がまず必要。全分野に詳しい人を見つけてくるよりまだ可能性があるなって。でもそれだけで社内で飯食っていけるようなポジションがあんまりない気もしますね。

 

僕も結構そっちの方がありな感じがしていて、CIOとかが事業も両方分かっている最強な人になっていくべきとは思わないんです。CIOを据えたとして、その人から本質を理解して、判断したり、権限委譲したりできるCEO的な立場がいないと結局ダメなんじゃないかなって。CIOっていう立場を「何か分からないものをやっといてもらう」押し付け係にするのか、それとも自分のキャパシティを拡張する存在として据えるのかで違いが大きいですよね。

 

CTOやCIOに求められているのはIT化を達成した先の未来を描く力

 

CIO、CDOというレイヤーじゃなくてもある程度確信を持ってビジョンを拡張するような人材を入れることも大事だし、今まで自分の判断の範疇だと起きない不確実性を生むような別分野、たとえばデザイナーとかDXの経験者を情シスに呼ぶことも大事かも。「うちの会社には合わないかもしれないけど、合わなかったときのコンフリクトとか含めて会社の成長だよね」みたいに思える存在というか。
新しい情シスを作るにしても、KPIを設定して、毎月毎年うまくいったかどうか計測しがちだけど、そんな数値に顕れるような成果とか、なかなか出ない難しい話と向き合っているんじゃないかなという気がしたりする。

 

とはいえ、情シスはどうあるべきかと相談してくる人たちがそんなに無責任に丸投げしようとしている気はしないんですよ。何らかの啓蒙みたいなものを期待はしていて、役員勢に対してITとはこういうものなんですと言ってきてほしいと。もちろん自分が勉強しに行けよって話ですけど、そんなにみんな丸投げしたいとは思っていないです。

 

CTOなりCIOは、この会社がIT化を達成したら、例えばこうなりますよとか、その先にある未来を描く力みたいなのが求められるし、そういう情シストップを雇わないと難しいんじゃないでしょうか。ITについて一般的な説明をしても、その役員たちに気づきを与えづらい気がするので、CIOは役員たちに伝えるというか、それを吸収してCIOの言葉にする必要がある気がします。

 

いつまで経っても事業戦略に基づいたITの話が出来ない方が知り合いにいて
「これを改善するためにはシステム開発に2000万円かかります」とか言っているわけ。
会社がこっちの方向に行くから、こういうITにしなきゃいけないんだとあなたが語らなきゃいけないですよって僕は言っているんだけど、今の話聞いているとそれをCEOが語らなきゃいけないのは、なかなかしんどいなあっていう気がしちゃう。

 

その人が自分で何かをデザインするとか、形づくるのが嫌なんじゃないですか?課題整理までしたら誰かに決めて欲しい人のように聞こえます。

 

実際、情シス上がりの人たちって基本的に自分でリクエストを作らないですし、全体的に正解のないところに答えを設定することができないんですよ。それより「情シスがどうあるべきか」という今回の題の立て方が悪かったことは大変申し訳ない。

 

そこに辿り着いた(笑)

 

<後編へ続く>

 

【Value総会議】これからの情シスはどうあるべき?秀玄舎メンバー意見交換会レポート(前編)

定期開催している秀玄舎メンバーによる意見交換会

今回のテーマは「情シスとは今後どうあるべきか?」。DXが加速する今、情報システム部の立ち位置や役割、期待されるスキルや人材に変化は生じているのか?各々が経験した事例をもとに忌憚のない議論を行った。





 

 

業界、業態の境目が曖昧になっている今、ITは部署ではなくファンクションとして語るべき

 

今日のテーマは「情シスとはどうあるべきか」です。「情シスとは何か」というそもそもの前提も会社によっても違いますから、前提を置かない議論をどこまでできるか分かりませんが、この話題が出て来た背景からお話いただけますか?

 

昔、ある会社の電算室と呼ばれている部署で、社内の取引を記憶し続けて会計帳票の元ネタを作る業務に関わっていたんですよ。そこから徐々にEUCが進んでいくと、間接部門としてというよりは社員たちとの繋がりを意識して仕事するようになったんです。更にインターネットが普及すると、企業間取引とは、ECとはみたいな話になり、情報システム部門が関与し始めて、そこからDXが起こり、会社全体のビジネスをデジタルに移行していくんですね。

ただ、電算室って過去の取引を正しく記録することがミッションなので、ものすごく数値に正確な保守的な人が選ばれる傾向があったかと思うのですが、実際、EUCをやっていくと経営陣に対して何らかの存在感を示すとか、攻めの姿勢みたいなものを現場からも期待されるようになっていくんです。DXって「よその会社より遅れているから進んでやっていこう」とか言われて始まるものでもあるから、情報システム部の位置づけがどんどん上にも横にも広がっていくんですよ。情報システムじゃないとしても、その機能は必要だろうし、これから先どうあるべきだろうという話を一つのモデルに限定するのではなく、色んな選択肢がありますよという観点から話したいなと。

 

目的次第な部分はあるけどその目的についていけないとか、方向性が違うとか、ギャップが色々出ているから情シスの評判がなかなか上がらないことが課題ということですかね?

 

オーソドックスで伝統的な情報システムでよくあるのは非常に保守的で、サッカーでいうディフェンダーみたいな感じ。ミスすると怒られる。でも現場でちょっとだけITかじった人が「こんなの簡単にできるでしょ」って情シスに持ち込んで「いや、意外と大変ですよ」って言われることがよくあるんですよ。

2000年頃からCIOみたい存在が必要だと世の中的には言われてきましたし、情シス部長だった人がCIOになることが多かったけど、僕は経営に対して支援をする立場として、データ部門から連れてきたほうがいいと言ってきているんです。そうこうしているうちに、CTOとかCDOも出てきて、CIOは「保守的な人で十分だよ」とか言われる始末なのはおかしな流れだなって。

 

これまでは脇にあったITが今や主役となり、それがないと業務自体が回せないとか競争を勝ち抜けない状況があらゆる業種・業態で起こっていて、いつまで情シスに押し込めておくのかという話もありますよね。業界がすごく曖昧になり、越境してきている今、情シスでどこまでやるかという議論は結構悩ましいですね。

 

そう、部署というファンクションとして語られたほうがいいですね。

 

情シスに主体性が求められる今後、社内で議論が起こる環境が重要になる

 

日本で本当のIT開発を自社内でできるところってまだ少なくて、外部に発注することが多いので、その時に情シスを通っていくのか、事業部から発注が行くのかによっても、情シス社員が持つべきファンクションは変わってきますよね。

 

海外の企業で社内に情シスがあるところってあるんですか?

 

海外は外部発注がそもそもないですし、私が付き合いあるところは大体IT企業ですけど、ないに近い気がしますね。

海外ではないけど、あるメーカーでは一つの組織ではなくセキュリティ委員会みたいになっていたのを記憶しています。各事業部の中の詳しい人が集まって、社内共通ルールを作って相互に補完しましょうと、中央集権的な情シスはなくていいというスタンスだったんですよ。それはおそらく全員が一定のITスキルを持っていることが前提だと思いますけど。

 

そもそも情シスに“色々できる人材”っていないじゃないですか。事業会社にいるのは、その事業に憧れて入ってきた人ばかりで、その事業のシステムをやりたくて入社する人はいないと思うんです。

 

どうだろう、それは採用の仕方なんじゃない?この会社はこんな技術をやっているとか、このシステムを知りたいからこの会社で働きたいっていう敏感な人は、結構知り合いにもいるから、捉え方次第だと思うけど。

 

システムでサービスを売っているところはそうかもしれないけど、サービス中心のところでもそうなりますかね?

 

主業務や事業部がITをやらないっていう前提で採用をかけると、そういう見た目になるんじゃないでしょうか。でも今後はITも事業の一つになるのだからそれが採用項目に入ってくるのかなと。

 

ある保険会社が全部のチームをアジャイル化した話を聞くと、情シスというかITのハブになるのは楽しそうだなと。要は一つの商品にすごくどっぷりハマりたいわけじゃないけど、色んなサービスをどうやってDXしていくかとか、複数絡めるポジションとしての情シス社員って主体性が必要だし、楽しそうだと思いますね。それが情シスなのか、もしくは事業部側にそういう人材がいた方がいいのかという議論は個人的にはどちらでもよくて、議論が起きている様が大事だと思っています。

ビジネスよりの人とかテクノロジーよりの人とか、デザインよりの人もいるのかな、ユーザー目線での社内の議論風景の中で、情シスってどういう社員がいて、どういう役割であるべきだろうって会話をして、事業部ごとに多様性みたいなものがすでに担保できているのなら、情シスは守りに徹してもいいし、そうでなければ、事業部のカウンターパートとしての情シスを作るとか。事業サイドの人たちと、同じ目線かつITに詳しい人を取ることが採用戦略として難しいけど必要だし、そういう人材を育てないと情シスの未来って暗いだろうなという気もします。

 

 

情報システム部

<中編へ続く>